|後家《ごけ》暮らしをさせるのは不憫である。一旦、里方へ帰し、そして改めてどこかへ嫁に行けるようにしてやらずばなるまい。
 こう、親戚中の意見が一致して、子供を嫁の乳から離すことになった。そこで、子供は佐藤家で産まれたのであるから、佐藤家の惣領であるところの私の子供とするのが当然の筋であるということにも、親戚中の意見が一致したのである。故郷において、私の妹が老父と共に育ててもいいのだが、妹はまだ嫁入り前であったから、それは妹にとっては可哀相な訳合《わけあ》いであったのだ。
 老父は、孫娘を弟の若い未亡人に抱かせて東京へやってきた。家内は、俄に二人の母親となったのだ。家内は二人の子供をよく育てた。私は家内に感謝した。上の方が人工営養を離れたころ、間もなく次の子の人工哺乳がはじまったわけである。弟の子は、千鶴子と名付けてあった。この子も、丈夫の子であった。
 私の家内に子供が産めなかったというのは、どこがどういうわけはないが、ひよわの性でいつもぶらぶらしていたためであったのであろう。ところが俄の子持ちとなり、それが一年あまりの間に一人が二人となったのであるから、家内の労働はいままで想像もしてみなかったほどはげしくなった。そのために、いつの間にか家内は病魔を征服して、細い骨に肉がまるまるとついてきて、三、四年前とは見違えるように健康の体格となったのである。
 みゑ子が五歳、千鶴子が四歳のとき、家内はある日、心配そうな表情して、わたしこのごろ何ですか変なの。下腹に癌のようなかたまりができて、それが動くような気もしますわ。病気じゃないでしょうか? わたしひょっとすると妊娠じゃないかと思うのですけれど――と、私に妙なことを訴えた。
 おいおい、馬鹿なことを申せ。お前が、妊娠などするものか。とんでもない話だ。だが妊娠でないとすると、下腹の膨れものとあっては重大事だぞ。世にいう血塊というやつかも知れない。早く、婦人科の医者のところへ飛んで行って[#「飛んで行って」は底本では「飛んで行った」]診て貰え。こんな風に私は笑いながら家内をおどかした。家内は、血相変えて医者のところへ走って行った。診て貰うと家内が予感していた通り、立派な妊娠であるときかされたのである。私も家内も狐に摘まれたような気持ちがした。
 一度口あけがあると、それから続々産まれた。長男についで女の子、三人目がまた男の子
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