し》と白頭山節には感服した。哀調を帯びたアリラン節に魅せられたのは勿論のことである。
 尹玉川と白蓮紅の二人は、若くて、そして美人であった。皮膚が練絹《ねりぎぬ》のように細かくやわらかであるから、白粉《おしろい》の乗りがいい。爽やかな眼を大きく張って、この二人も明るく唄った。
 韓晶玉は、絵筆を色紙の上に揮った。濃淡の墨痕に七賢を描き出したのだが、内地でいえば、いやしい芸妓にもひとしい稼業であるのに、よくもこんな技まで習ったものかなと、驚いたのである。
 妓生は芸妓とひとしいというけれど、少しも借金を背負っていないのだ。流行妓になると三、四万から十万円位貯蓄しているという。妓生学校へ入学するには、人物試験と身元調査が厳重に行なわれる。だから下層民の娘は入学できないのである。良家に育ち、厳重な校規の下に教育を受けて卒業すると、そのまま誰に抱えられる訳ではなく、女の一つの立派な職業として旗亭《きてい》の招きに応じ客に唄と舞を供する。勿論、酌もするのだ。
 お牧の茶屋の収穫は、妓生の美しさばかりではなかった。川魚料理である。カルユイ(小蟹)、ソガリ(鰍魚)、フナ、ヒガイ(鰉)、ドジョウなど、
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