田に雲雀が巣を営んでいるかを見当つけるには、雲雀の餌をくわえて子供のところへ運んでゆく姿をまず発見しなければならないのである。餌をくわえて飛んでいる雲雀の親を発見しても、親は決して直接には巣の上へ降りない。充分、あたりを警戒したのち、巣から一町か一町半も離れたところへ降りる。そして、地上を這って行ってから子供に餌をやるのだ。だから、親の降りたところを中心として、一町か一町半のところを半径として、その近くの田圃を捜しまわるので、一つの巣を発見するのに三日も四日もかかることがあった。
 親は、子供に餌をやって置いてまた直ぐ餌を捜しに出るのだが、必ずから手では飛び上がらない。子供がお尻からだした糞をくわえて出るのである。そこで、親が糞をくわえて何処《どこ》から飛び出すかに注目するのであるけれど、これも巣から直接には飛び上がらないのだ。やはり一町か一町半ばかり地上を歩いて行って、糞をくわえたまま飛び上がり、そこで空中から糞を落とすのである。こんなわけで親の振る舞いを空に発見しても、一春にいくつもの巣を発見することができるものではない。
 私の故郷は、上州の榛名山の麓で、長い山の裾が広く長く関東
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