平野へ伸びゆくところの村である。麦田と桑畑が、はてもなく続いている。麦田の上を春の風がそよそよと吹いて、おだやかな容《かたち》の榛名山が、遠く大霞を着て北の空に聳えていた。私は、蓮華草《れんげそう》が紅い毛氈《じゅうたん》のように咲いた田へ、長々と寝そべりながら、ひねもす雲雀の行方《ゆくえ》を眺めていたことがあった。
 西の空には遙かに、浅間山が薄い煙を越後の方へ靡《なび》かせていた。雲雀の雄親は子供へ餌をやる寸暇を盗《ぬす》んで自慢の美声に陶酔するのであろうか。高い空で快く啼いている。黄色い蝶と、蜜蜂が忙しく蓮華の花から花へ舞っている。
 やがて、春の遅い日も夕べに近づいて上信国境の山際へ陽が落ちこもうとする。大きな丸い紅い陽が霞に隔てられて橙色に薄れてくる。何と静かな春日だろう。
 私は、とうとう雲雀の巣を捜しあてることができないで、若草の野路をいつも田圃から村の方へ歩いてくるのだ。遠い村の方へ、ちらほらちらほらと灯がつく。
 少年のことの春を、もう一度味わいたい。[#地付き](一五・三・五)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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