紙がさがっているのをみると、多分これは目印のために吊るすのではないかと思う。だから私ら人間の子がもずの巣を捜すにはこの目印を目標としていくのだ。こんな訳で巣を捜すには大して骨は折れなかったが、もずの子は捕まえてきても育てるのがむずかしい。活き餌でなければ育たないので、捕まえてきた二、三日は蓑虫かなにか捜してきて熱心に餌飼いをするが飽きてくると蓑虫をとりに行くのがいやになって半日も捨てて置くと冷たくなって死んでしまう。
 もずの巣に興味を失うころになると、田圃《たんぼ》の空に雲雀が唄いはじめる。大体、もずの営巣は二月の下旬から三月下旬位までであるが、四月に入れば雲雀の時代だ。
 雲雀の一番巣は四月一杯。二番巣は五月一杯。三番巣は六月で、このうち一番巣は大部分雄が孵化するから興味が深い。大きく育てても、雌の方は啼かないから無駄である。だから雌の子が多い二番巣、三番巣はあまり人が興味を持たないのである。一番巣の頃はまだ田の麦が腰をたてない。僅かに四、五寸に伸びたばかりである。雲雀の一番巣は、その低い麦の芽の柵へつくるのであるが、これを発見するのは大事業だ。容易のわざではなかった。
 どこの麦田に雲雀が巣を営んでいるかを見当つけるには、雲雀の餌をくわえて子供のところへ運んでゆく姿をまず発見しなければならないのである。餌をくわえて飛んでいる雲雀の親を発見しても、親は決して直接には巣の上へ降りない。充分、あたりを警戒したのち、巣から一町か一町半も離れたところへ降りる。そして、地上を這って行ってから子供に餌をやるのだ。だから、親の降りたところを中心として、一町か一町半のところを半径として、その近くの田圃を捜しまわるので、一つの巣を発見するのに三日も四日もかかることがあった。
 親は、子供に餌をやって置いてまた直ぐ餌を捜しに出るのだが、必ずから手では飛び上がらない。子供がお尻からだした糞をくわえて出るのである。そこで、親が糞をくわえて何処《どこ》から飛び出すかに注目するのであるけれど、これも巣から直接には飛び上がらないのだ。やはり一町か一町半ばかり地上を歩いて行って、糞をくわえたまま飛び上がり、そこで空中から糞を落とすのである。こんなわけで親の振る舞いを空に発見しても、一春にいくつもの巣を発見することができるものではない。
 私の故郷は、上州の榛名山の麓で、長い山の裾が広く長く関東
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