想い出
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)黒鯛《くろだい》釣り
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四、五日|間《ま》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)道了大|薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]
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十五、六歳になってからは、しばらく釣りから遠ざかった。学校の方が忙しかったからである。
二十歳前後になって、またはじめた。
母と共に、二年続けて夏を相州小田原在、松林のこんもりとした酒匂村の海岸に過ごしたことがある。炎天を、毎日海辺の川尻の黒鯛《くろだい》釣りやはや[#「はや」に傍点]釣りに専念して、第一年の夏は終わったのであったが、第二年は六月のはじめから鮎釣りをやってみた。
五月下旬のある日、ふと東海道の木橋の上手《かみて》にある沈床の岸に立って瀬脇をながめると、遡りに向かった若鮎が盛んに水面に跳ねあがるのを発見した。
『この川にも、鮎がたくさんいるのだな』
と、昔の友に会ったように感じた。
子供の時から利根川で、父と共に若鮎に親しんでいた私であるから、ここで鮎の跳ねるのを見て、矢も楯も堪《たま》らなくなったのは当然であった。すぐその足で、小田原町本町一丁目の『猫』という異名を持つ釣り道具屋へ訪ねて行って、竿と毛鈎を求めたのである。まだその頃は、関東地方へきている加賀鈎や土佐鈎の種類も少なく、私は青お染、日ぐらし、吉野、そのほか二、三を選んだのであった。
竿は、若鮎竿として我が意を得たものがなかったから、長さ二間ばかりの東京出来の鮒竿で、割合にしっかりしたものを買った。その頃、小田原地方では静岡地方と同じように、加賀鈎や土佐鈎を使う沈み釣りを、石川釣りといって、ドブ釣りとはいわなかった。ドブ釣りとは、多摩川を中心とした釣り人が造った言葉であったからだろう。
石川釣りをやる人も、まだ酒匂川筋では稀であって、多くは石亀《いしがめ》(川虫)を餌にした虫釣りか、十本五銭位で買える菜種鈎《なたねばり》という黄色い粗末な毛鈎で、浮木《うき》流しをやっているのと、職業漁師が友釣りとゴロ引きをやっていた。
六月一日の鮎漁解禁日がくると、引き続いて毎日出かけた。利根川式の鈎合わせで釣ると
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