並んで釣っている誰よりも、一番数多く私に釣れた。深い場所では青お染、浅い場所では吉野が成績をあげたのである。
 解禁後、一週間ばかり過ぎると、余り釣れなくなった。そこで、人々はあきらめたと見えて、川へ姿を見せる者は少なくなった。けれども、私は根気よく続けていた。ある日、朝飯をゆっくりすませて、国道の木橋の上手の釣り場へ行ってみると、一人の職漁師風の老人が私の佇む岸より少し上手の荒瀬で友釣りをしていた。私はいつものとおり、道具を竿につけて、静かに竿を上げ下げしたが、その日はどうしたわけか全く駄目で、田作《ごまめ》ほどの小鮎が、二、三尾釣れたばかりであった。私は竿を河原へ投げ出して、木床の上へうずくまった。
 梅雨がくるにはまだ四、五日|間《ま》がある。空は、からからと晴れている。
 うずくまったまま、友釣りの老人の竿さばきを眺めた。一時間ばかりの間に、五、六尾釣りあげて宙抜きに手網で受けるのを見た。技術も上手《じょうず》であるが、鮎も沢山いるらしい。
 私は、老人の魚籠《びく》を覗いた。老人は囮箱でなく、竹で編んだ魚籠を使っていたのである。大きな籠の中には、四、五十尾の鮎が、生き生きと群れていた。私が毎日釣っている若鮎に比べると、幾倍というほど大きい。十四、五匁から、二十匁近くもあろうと思われる鮎ばかりであった。私は、例えようのない興奮を感じた。
 毎年、夏になると私の村の傍らを流れる大利根川の上流で、職業釣り師が勇壮な姿を速瀬の真んなかに躍らせて、友釣りを操っている風景を想いだした。五間もある長竿で、一歩踏み誤《あやま》れば溺れねばならないほどの奔流へ、胸のあたりまで立ち込む利根川の釣りは楽しみよりも苦しみであろう。こう想像して若鮎釣りだけで満足し、大川の友釣りには手を出さなかった自分であった。
 ところが、いま見るこの友釣りは三間か三間半の短い竿で、大きな鮎が掛かっても三、四歩下流へ足を運ぶだけで、宙抜きで手網へ入れている。これなら、自分にもやれそうだ。私の胸は、異常に躍ってきた。
『おじさん、友釣りってむずかしいものだろうね』
 私は、一心不乱に釣っている老人のうしろから、こう問うてみた。けれど、老人はうるさいといったような一瞥を与えただけで、何とも答えてくれなかった。
 しばらくすると、釣れ方が遠くなった。老人は腰から叺《かます》を抜き出して、一服つけた。私は
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