関の外へきて、あの音だけを聞いて楽しむことにしてはどうだ。こんな訳で爾来毎日、友人はまことにいい気持ちになっているのである。いよいよ清酒が飲めないことになれば、私は濁酒《どぶろく》でやろうかと考えている。濁酒の味も捨てたものではない。濁酒を燗鍋で温めて飲むのも風雅なものだ。私の子供の時分には故郷の村の人々は自家用の醪《にごりざけ》を醸造しては愛用していた。
 当時、酒の税制がどんな風になっていたか知らないが、私のとなりの家に、飲兵衛のお爺さんがいて、毎日|炉傍《ろばた》で濁酒を、榾火《ほたび》で温めては飲んでいたのをいまも記憶している。納戸《なんど》部屋の隅に伊丹樽を隠しておいて、そのなかへ醪を造り、その上へ茣蓙《ござ》の蓋をして置く。それを、一日に何回となく杓子《しゃくし》で酌み出しては鍋にいれてくるのだ。
 ときどき、村の駐在巡査がやってきて、大きな炉のそばの框《かまち》に腰をかけ、洋刀をつけたまま五郎八茶碗で、濁酒の接待にあずかり、黒い髭へ白の醪の糟をたらして、陶然としていたが、そのころは濁酒を隠し造りしても大してやかましくなかった時代とみえる。私もそのお爺さんに小僧のめのめと言
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