寺が引受、つまり保証人となった。当時、こんな証文が殿様から寺へ入っているのを知ったら、庄内領の百姓は何と思ったであろう。
 こんな訳で、別当のところへは驚くべきほど沢山の利息が入ってきた。ちょっと利息帳を繙《ひもと》いてみたところ、正月から盆までの間に金六千百九十一両という莫大な利息が記入してある。当時の六千両を現在の金の価値に引き直したらいかほどになるであろうか。別当の背後には、将軍家がついているのであるから貸した金を借り逃げされるようなことは決してない。瑞蓮寺の懐は肥るばかりであった。

     古典の滋味

 こうして諸侯へ貸しつけた箪笥に二棹の証書を精算したら恐ろしい額に達するのであろうが、これが維新の布令が出ると同時に悉くフイとなったのであるから、別当では気も遠くなるばかり驚いたに違いない。霊廟のお守りをする別当においてさえこの通りである。さらに、ゆっくりと霊廟を拝観し、珍しい宝物、隠れた話などに注意を払ったなら半歳や一年は三緑山へ日参せずばならないであろうとおもう。
 秀忠と崇源院の二廟の建立に費やした金泥、七宝、漆、朱、玉、絵の具。また金具、木材、基礎材料、工賃だけでも、いまの専門家に積算は困難であるという。この工費を予算に出して現在の大蔵省に示したなら、恐らくあっと驚くであろうと観測される。さき頃、二代廟の奥院の裏山から突然水銀が湧き出した、沖積層からできた愛宕山の地続きに水銀鉱があるはずはあるまいと、その道の人が調査したところ、秀忠の棺に詰めた朱が水銀に化して溢れ出し、これが地層を徹して露地へ湧き出したものと分かった。それほど豊富な朱をもって屍を埋めたのであった。
 それに引きかえ増上寺は幕府からの手当てが薄かった上に、末寺も衰えて割賦金が充分に上がってこないところから前述べたようにひどい貧乏であったのである。ところが尊王方の土方らは増上寺と別当は同じ懐であると考えたらしい。そこで、増上寺を襲って役者を面喰らわせることになったのであるが、土方らが予め増上寺一山の内容を瀬踏みしておいて、別当の方へ御用金を申し付けたのであったら、随分たんまりと尊王方の米櫃は重くなったのであろうと考える。
 一両年来、芝公園を万国博覧会の会場敷地にしたらよかろうという議のあるのを聞く。二年後のオリンピックが日本において開催され、それに伴って万国博覧会が東京に開設される
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