づけてけろり。神田三河町呉服屋の小松屋宗七は、十六文盛りの汁粉三十二杯。一樽三百箇入り梅干二樽を食って、すっぱい顔しなかったのは深川霊岸寺前の石屋京屋多七。たくあん二十本を噛った下総葛西村の百姓藤十郎という猛者もいた。
 変わったのは、長さ七寸の鰹節五本を、がりがりやってしまった深川の漬物商加賀屋周助、蜜柑五百五個を食った桜田備前町料理屋太田屋嘉兵衛などである。両国米沢町の権次というのは山鯨十五人前。油揚げ百五十枚が、下谷御成道建具屋金八。一把七、八十房ずつついた唐辛子三把を食った神田小柳町の車力徳之助という閻魔《えんま》のような怪漢もあった。四文ずつの鮨代金にして一朱を胃袋へ送ったのは、照降町煙管屋の村田屋彦八。
 元大阪町の手習師匠今井良輔は生葱十把を食い、谷中水茶屋の榊屋伊兵衛は、醤油一升八合をのんだ。塩三合をなめたのが、清水家の家臣金山半三郎、生豆三合に水一升を平らげた馬のような男は両国の芸人松井源水。最後に、小梅小倉庵の若者勇吉というのは、黒砂糖四斤をなめた。

  三

 この正月のはじめ、上州館林正田醤油の多田常務から、鹿の肉が手に入ったから、すぐこいという飛電に接した。
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