までも、食べやまない。結局一人で揚笊《あげざる》に山に盛った蕎麥切りを平らげてしまった。この量は私が食べた十倍はあるであろう。一体、腹のどこへ入るのか、胃袋の雑作はどんな風にできているのか、同座の連中名人の豪啖に悉くあきれてしまった。
漫画の麻生豊画伯が、貴公どんな具合か腹を見せないかというと、名人は胸を開いた。一同これをのぞき込んだが、別段大してふくれてもいない。いまの一笊はどこへ入っているのであろうと思う。
博士が、まだ一笊料理場の方にある筈だから、もう少しどうかな、とからかうと、
「もはや、叶わぬ」
と、呟いて、名人は横に手を振った。
文化十四年二月十三日に、江戸両国の柳橋に、大食競演会というのが開かれたことがある。これへ出席した選手桐屋五左衛門というのは、蕎麥五十七杯を食ったあとで、三合入りの盞で酒二十七盃をのんでから、めし三杯に茶九杯を喫し、さらに甚句を唄って躍りだしたという剛の者であった。次に、天保二年九月七日やはり柳橋万八樓で催した大食会では、市ヶ谷大原町木具職遠州屋甚七というのが、十六文盛りの蕎麥四十二杯を平らげ、御船方の国安力之助が三十六杯、浅草の神主板垣平馬
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