の日ごろの自慢であるのである。数年前の盛夏、諏訪の霧ヶ峯へ博士の先導で友人数名と共に登ったことがある。そのときも博士は、山巓《さんてん》の草原まで小使手打ちの自慢の蕎麥切りを運ばせてきて、青空の下に嗜遊の宴を振舞った。よくもまあ、かくも細く長く切れたものであると思うほど、蕎麥は気品高く切れてある。つなぎの種は、山芋であるか鶏卵であるか語らなかったけれど、小使さんの腕はたしかに自慢するだけのことはある。
 その後、蕎麥が食べたくなるたびに、信州富士見まで出かけて行くのは骨が折れるといったところ、博士はしからば東京まで持ってこようという。早春のころ博士は、小使に打たせた蕎麥を、その小使に背負わせて運んできた。これを、麻布のさる料亭へ持ち込んで食べることにしたのであるが、蕎麥はゆで加減が身上であるから、料亭の板場に委せられない。そこで、わざわざ小使を信州から連れてきた次第であるという説明をききながら、私らは食った食った。
 私は、親椀に八、九杯は胃の腑へ流し込んだであろう。だが、私の胃袋の面積は人間並みであるから馬や牛のようにはいけなかった。ところで驚いたのは、將棋の木村義雄名人である。いつ
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング