ん言わないで、ほんとに――あっちでもこっちでも、かすを食うんで、僕悲観しちゃったあ」
「それは気の毒だな、けれど、僕も最近ここへ疎開してきたばかりで、米や麦は愚かなこと、汁の実にする青いものさえ不足しているので、困っている最中だ」
「そうですか、それは見損なった」
青年は、こういったからもう帰るのかと思っていると、なれなれしく、私のかけている縁側へ、私と並んで腰を下ろした。そして、古い国民服の隠しから、短く喫い残った巻煙草をだして火をつけた。
「煙草も、貴いですね」
というのである。
「おじさんなんぞ、畑のまん中に住んでいて食べものが足りないなんて、へんですね」
「不思議なことはないのさ、足りないのは都会ばかりじゃないよ」
「実はね、私は徴用で工場へ勤めているのですけれど、根は下駄屋なんですよ。きょうは電休日ですから、食いもの探しに出かけたわけですよ。自分でこしらえた下駄をぶら下げて――」
「ふふん」
「下駄と食いものと交換して貰うという算段なんです――この近所に、誰か下駄の入用の人はありませんかね」
「僕のところに何かあれば、喜んで交換してやるのだが、生憎《あいにく》で気の毒だな。ところで、君はちょいちょい買いだしに歩くかね」
「ええ、電休日がくると必ず家内にせきたてられますので――」
「そこで、君たちは農村から食べものを、どんな相場で買って行くのです」
「品により相手により土地により、相場などときまったものはありませんよ。その日の運不運行き当たりばったりですよ。まあ、品物を分けていただいたその礼に、いくらかの金を差しあげるというわけになるのですから、農家から闇で買うというわけでもありませんね」
「なるほど」
「つまり、農家の親切に対し金で謝意を表するのですから普通の取引のようには行きません。ですから、家へ帰って計算してみると、随分高価な食べものもありますし、割合に安いものもあります」
「ふふん、貴公はなかなか、うまいことをいうね。ところで高価であるといっても、どの位高いのか、僕には見当がつかないが、一体八百屋から買った方が高いか安いか――」
「そりゃ、八百屋から配給を受けた方が、安いにきまってるじゃありませんか」
「そうだろうな、気の毒だね。――お礼はどんな程度に差しあげるのかね」
「まず、公定の十倍位には当たるでしょうね」
「驚いたな」
「驚くなんて野暮《やぼ》ですよ。八百屋の配給だけで健康を保って行けないのは、いつかも議会で農商大臣も認めていましたね」
「君は、甚だ記憶がいいね」
「そこで、政府でも地方の官庁でも、都会民に一坪農園とか二坪農園をやれといいますが、一坪や二坪でなにができますかね。第一、農具もなければ、肥料もない。土地もない」
「君、不平いっちゃいかん、創意と工夫ちうことがあるじゃないか」
「恐れ入りました――あっ、間もなく日没、家内に叱られます。どこかで、この下駄に物をいわせにゃなりません」
この男は、狼狽して村の往還の方へ、出て行ってしまった。
顧みれば、実際において八百屋の配給は少なかった。彼の男が女房の命令で、電休日を待ちかねて、買い出しというのか、交換というのか、物を漁《あさ》りにでかけるのは、無理ないと思う。
昨年の暮れから、今年の一、二月頃へかけての冬枯れには東京の配給もまことに乏しいものであった。家族四人に対し、四、五日目に大根がひと切れ、直径一寸五分ばかり、厚さは一寸の五分の一ほどの大根の輪切り。今から、三、四年昔の二銭銅貨の方が大きかったと記憶するのである。
しかし私は、ないよりよいと思っていた。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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