ろう。国民をもれなく平等に、欠くるところなく賄うのは、まことに困難な業《わざ》だ。
 さればこそ、このむずかしい、世相になっても、主食物だけは心配しないで過ごしていられる。ほんとうにありがたい政治である。我々は、からだの動けるうちは、軍需の方にも、生産の方にも、能うだけの力をだして、国の求むるところに添うて行かねばならないのである。まだまだ国民には、体力的にも精神的にも、蓄積と源泉とがある。
 そこで、全国には我々以上に、配給制度に対して、感謝しているものが発生した。統制経済の恵みに浴して、はじめて人並みの食べ物を頂戴できる人達が現われた。
 私の家には、群馬郡清里村大字青梨に親戚がある。青梨は、私の村から一里半ばかり北方の榛名山の裾にあり、わが村から指してこの方面を上郷といい、岡場とも称した。岡場に対して私の村の方は米を産するから田場と称するのである。米の稔らぬ岡場に対し、米を産する田場の者は、子供までが優越感を持っていたのだ。つまり、田場のひとりよがりなのだ。
 もう、五十年も前の話だ。青梨の親戚から、時折り私と同年輩の子供が客にくる。私らはその子供に、君が来ると上新田の頬白《ほほ
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