の米を竹の筒に入れ、これを病人の耳許で振って、せめて米の音でも聞かせたのであるという。
 生まれて以来米を食ってみることができない地方であったという例え話である。実際はそれほどでもあるまいが、片品川の畔の追貝付近や、尾瀬に近い戸倉あたりは、昔から水田に乏しく、歌留多ほどの山田が、峡のかげに僅かに見えるばかりである。
 多野郡の奥の裏秩父に接する中里村、上野村、万場方面へ行くともっとひどい。米など愚かなこと、砂糖を知らなかった昔があったという。だのに、三、四年来は米の配給、砂糖の配給、牛豚肉の配給、魚の配給、時には、洋服の下へ着るワイシャツの配給、靴下の配給、山の人々は眼を丸くした。はじめてのほどは、砂糖など平常用いると、山人の自然生活を損なうものであるといって配給を拒絶した。海の魚など、おっかねえと叫んで手も触れなかった。
 海の魚といえば、我々上州の中央の平野に生まれたものでも、大都会である前橋ではじめて電灯ちう怪物を、腰を跼《かが》めて見物するところまでは、蒲鉾《かまぼこ》は板にはり付いて泳いでいるもの、鰊《にしん》は頭がなく乾いたままで生活するもの、鮭の塩引きは切り身のままで糸に
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