の穀物を混食してきたのである。
 だから、山麓地方の農民は米を主食しなかったのである。つまり、雑穀をところの産物によって、選り好みせず大いに食って、大いに働いてきたのだ。
 そして、水田はないけれど桑畑が見渡す限りひろがっている。それで蚕を養って繭を売り、その金で米を移入して、米の滋味に浴してきた。
 しかるところ、配給制度になってからというもの、平野の農民と同じに、一人当たり二合以上の割りあてを受けることになったのだ。つまり、従来に比して、倍以上の米を頂戴する幸運にめぐり合ったわけで、統制経済は岡場の人々の雑穀時代を、新世紀に導いたのである。
 岡場の人に取っては、戦争のおかげといったようなものであったろう。
 これを飜って考えてみると今日まで米を常食しなかった地方にまで、米を配給することになったのであるから、米の需要はますます増加するばかりである。群馬郡の北部などはまだやさしい。
 多野、北甘、碓氷、吾妻、利根など、群馬県は殆どその大半が山間部だ。黍粉《きびこ》のお焼きや、粟粥の本場だ。
 利根郡の奥には、振り米の話さえある。東村や片品村の南会津に近い山家では、病人の死際には、少量
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