くなった。頑是《がんぜ》ない子供が、夜が明ければ空腹を叫ぶので、止むに止まれず親戚へお縋りに行った。そして、赤城の中腹から一里半の路のりを、子供三人と風呂敷とを提げて、粕川駅まで辿りつき、前橋中央駅の改札口を出て、やれやれと思った途端に、おいおいちょいと待てである。揚句に、この藷を置いて行け――。
 彼の女は、泣きだしそうになった。
「どうぞご勘弁くださいまし、決して再び親戚から貰ってまいりませんから――この藷を置いて行きますと、うう……」
 娘は微かに泣きじゃくって、子供の頭を撫でながら、哀願に努めたのである。
「……二度と再び、藷なぞ提げ回れば承知しないぞ」
「はい」
 幸運にも、彼の女は許されて、まだふるえやまぬ手で、風呂敷のこばを結んだ。電車のなかでは、藷を膝の上にのせ、無上の悦楽に耽っていたのだが、お巡りさんの一喝に逢って、心は奈落の底へ転倒した。
 娘に掛かり合った事柄であるから、かれこれ私が愚痴をこぼすわけではない。この場合、
「――ああそうか。親切な親戚を持っていて、お前さんは幸福だ。だがね、藷は統制品なんだよ。まあこの小風呂敷程度から、目にもつくまいがね。この次は、遠慮した方がいいね」
 こんな具合《ぐあい》に、やさしく言って貰いたかった。大空襲の東京からの野菜の買い出し部隊の殺到で、千葉県と埼玉県では、その取り締まりに手を焼いた。そこで、一人二貫目までは黙認することに定めたのであった。
 群馬県ではどうなっているか知らないけれど、子持ち女がさげて出る僅か七、八百匁程度の風呂敷など、欲をいうなら見逃して貰いたかったのである。それでもまあ、没収を受けないで娘は倖せ者の部類に入ろう。
 親戚の者が、困っているのに対し、藷や菜っ葉を少しずつ分けてやるのは、日本人の美風である。群馬県の若きお巡りさんといえど、この美風には理解がいくと思う。
 こんな場合、若いお巡りさんの融通の有無について云々したくない。お巡りさんの指導者、つまり上役の苦労人が、定規のことは定規にして置いて、味のある思いやりにつき、部下の者に噛んで含めて、日ごろの教えとしたら、どんなものであろう。
 庶民は、喜ぶであろう。一層、自制心を強めるであろう。その筋の人の、滋味ある扱いに決して、つけ上がるような人間は一人もあるまい。
 統制や、配給ということについては、政府は随分苦心していることであ
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