ことだ。
人間同志、お互いに溢れるような思いやりをもってすれば、無い袖を振るのは、苦もなきことだ。種はなくとも、手品師はちゃんとやってみせる。
嫁にやってある私の娘は、幼な児を二人抱え、老姑と四人で、最近伊勢崎へ疎開してきた。嬰児《えいじ》を持てば、二人前のご飯を頂かないと、お乳が出ないものである。それに四、五歳の幼児でも、今は大人並みに食う。菓子も果物も、自由に買えぬ時代であるから、子供の間食といえば、味噌をなすったお握りを、一日に二、三回は掬《むす》ぶ。
お櫃《ひつ》が、いつもからからであるのは当然だ。そこで、第一にこの辛苦の凌《しの》ぎについて相談に行けるところは、私の家庭である。だが、これが大問題である。実は、私や家内は、近所や親戚の者に対し、日ごろ腹鼓を打っているような面して体裁をつくっているけれど、私は専ら家内の手腕に信頼している場合である。嫁に行った娘が、悲しそうな顔して相談に忍び込んできたところで、どうにもならぬ。
思案の揚句《あげく》、娘は勢多県粕川村月田の親戚を訪問した。伊勢崎から月田へ行くには、一旦《いったん》前橋へ出で、前橋中央駅から上毛電鉄に乗るのであるが、親戚の家は月田の村の奥の奥、赤城山の中腹にある。粕川駅から、一里半はたっぷりあろう。
月田の親戚では、私の娘が泣きごとを申さぬ先に、それと察して甘藷を風呂敷に包んで与えた。嬰児といっても割合に体重のあるのを背中へ括《くく》りつけ、左の手に四歳になる子供を吊るようにしているのであるから、いかに欲張っても七、八百匁しか甘藷は提げられない。それでも彼の女、満悦の姿でいそいそと帰途につき、前橋中央駅の改札口をでた。
ところが、哀れなる事件が起こった。
「おいこら、まてまて」
お巡りさんである。
「その包のなかには、なにが入っている」
「はい」
娘は、面喰ってしまった。
「包をあけてみろ」
「いえ、少しばかり野菜が――」
「あけなさい」
生まれてはじめて、娘はお巡りさんにとがめられたのだ。手をふるわして、小風呂敷を開いたのである。中に、少量の甘藷があった。
「これは飛んでもない。一体、どこから持ってきた。うん」
「粕川の親戚から、頂戴してきました。子供の食べものが足りないものですから――」
「いかん、藷は移動禁止の品だ。ここへ、置いて行け」
置いて行けといわれて、娘は蒼《あお》
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