、種を蒔き、苗を植えたからといって二十日や一ヵ月で、収穫があるというものではない。しからば、畑から物がとれるまでの間、一体なにを食っているのかという問題になる。日常、配給を受けるものは米、味噌、醤油だけ。そのほか、副食物とか魚類、野菜に類した品はこの農村には全く配給がないと称してよろしいのである。
三月上旬に転住してきて以来、ただ僅かに一回、一人当たり生鰊が半身とお茶の葉が少量だけ。ほかの品は、まるでお顔を拝さぬ。
だが、いまは戦局重大な折柄である。そんな次第でも、われら家族になんの不平も、愚痴もない。政府がいうところの、足りないところは工夫《くふう》塩梅《あんばい》して腹を満たせの妙案を遵奉して、その日に処している始末だ。
家庭の女房たるもの、ここが大いに腕の揮いどころだ。女の腕が、陽《ひ》の目を見たというものであろう。
されど、私の家庭だけは、心配ご無用である。親が、この上新田の農村に私を生んでくれただけに、先祖の顔もあり、村人の温情もあり、朝な夕な、やれほうれん草はどうか、葱だ、にんじんだ、牛蒡だ、といった風に、人々が私の勝手許へ提げ込んできてくれる。殊に、馬鈴薯や里芋などの到来したときの嬉しさ、ありがたさ。
たまには麦粉、乾麺、白米、大豆など寄贈に接することもある。これで、食いものが足りないの、腹が減って堪らないと口外しては、甚だ相すまない。
これでどうやら、六月末頃から収穫に入る馬鈴薯の鮮醤に対面するまで、腹を継いでゆける次第であるが、しかし世間の人がすべて、私の家庭のように幸福に暮らしているとは思われないのである。
工夫塩梅して腹を満たせ、という言葉は、まことによき思いつきである。私のように、脳のうとい者には、着想不可能であった。昔から、無い袖は振れないとか、いかに巧みな手品師でも種がなくてはどうにもならぬ。と、いう諺があるけれど、戦争となってみれば、無い袖も振らねばならないし、種がなくても、生活を続けねばならぬ。不平、不満はもってのほかじゃ。
果たして然らば、どんな身振り手真似で、無い袖をひらひらさせるかという難問に逢着するのであるが、人民の悉くが母乳を欲するように心から憧憬《あこがれ》ているのは、人間味豊かな為政者の思いやりである。末端官吏の反対である。また指導者と呼ばれる人とか、統制事業に従う半官半商の人達の、思い上がりを棄てて貰う
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