、ぶら下がってくるものと考えていた程であるから、南会津に近い山間の人達や、裏秩父に隣住む山人が、海の魚を気味悪く思うのも、まことに無理ない次第である。
 そこで、私も一ヵ月半ばかり前、生鰊を半分配給を受けたのであるが、これは私の村にだけでなく、殆ど全県下へ同時に配給したのだそうである。してみると、生鰊の量は、莫大なものとなろう。
 米でも魚貝類でも、食うと食わざるとを問わず、食う習慣と食わざる習慣を持つとを問わずこれを一切平等に配給する、骨の折れることではある。
 ひとりこれは、群馬県ばかりではない。飛騨、信濃、陸奥そのほかの、山国へ行っては皆同じことだ。従来の土地の風とか慣わし、美俗醇風に重きを置かないで、無闇矢鱈《むやみやたら》と配給したのでは、ますます物が足りなくなるばかりか、運輸、交通も混乱する。日本全国としては無駄、無用の食糧を、無意義に消費しているのではあるまいかと、おせっかいであるが、深く心配になる。
 私はこの頃、歳のせいか、何か彼かと無用のことが心配になったり、差し出口を挿んだりするのでいけない。自分の家庭の配給に影響のないことであるなら、お上《かみ》の行なうことを頭痛にやむのは、愚の骨頂だ。お上は、国家の食糧事情の大所高所から観てよいあんばいにやっているのであろうから、私如き俄百姓が、疝痛《せんつう》を起こすなど、甚だ僣上至極。慎まざるべけんや。
 だが、無用の配給に検討を加えたら、有用の配給が国力に意義をなすのであろうがなあ、と思う。老人、愚痴多き哉。
 以上のような次第で、私は夏がくれば、大いに野菜を食える見込みがついたから、親船に乗った気持ちでいられるのである。それにつけて思うのは、もっと都会の人々に、野菜を食べさせたいことだ。
 だからといって、私の百坪前後の野菜を根こそぎ舁ぎだしたところで、九牛の一毛にも値せぬ。さらに多くの野菜を都会人に食べさせたいと思えば、もっともっと農民全体が、心を揃えて野菜の栽培に勉強することより外に、すべはない。
 ところが、一歩足を農村へ踏み入れてみると、葱でも薯でも菜っ葉でも、青々と茂って畑から盛り上がっている。であるのに、なぜ都会では野菜が不足しているのであろう。
 そのために、いずれの家庭でも主婦が苦心惨憺しているのである。肉類や魚類が、殆ど皆無に近い状態のところへ持ってきて、なお日ごと欠くことのできな
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