》に、朱に染めた頭を集めて男体と女体が、この浩遠《こうえん》な眺めを覗きながら、自然の悠久を無言に語り合っている。草薙山の方に近い密林の中に、早春の雄鹿が嬉々《きき》と鳴く。
 湯滝の滝壺は、まだ夜が明けきれない。絶壁と緑樹が朝陽を遮《さえぎ》って残りの闇《やみ》が、地面を淡墨に漂う。だが、滝の岩頭には朝がきた。瀑《ばく》は真っ白な飛沫をこまやかにちらして、大空を落下してくる。澄白と薄明の対照だ。
 滝壺の瀬尻のせせらぎに、ガバと波紋を描いたものがある。それは、虹鱒《にじます》であろう。かげろう[#「かげろう」に傍点]の羽虫を餌として、鈎《はり》を瀬脇に投げ込めば、瞬間にグッとくる。確《しか》と餌を食い込んだのだ。竿も折れよとばかりの強引である。ようやくにして水面へ抜きあげ、手網にとって見た虹鱒、銀青色の横腹に紅殻《べにがら》を刷いたような彩《いろどり》、山の魚は美しい。
 湯の湖へは姫鱒《ひめます》、湯川へは川鱒《かわます》と虹鱒《にじます》を、帝室林野局で年々数多く放流している。冷徹《れいてつ》な峡間は、湯滝の下に苔生《こけむ》した天然林を抜け出して、戦場ヶ原を幾《いく》曲がり、龍
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