ぼかしの紫は、瓔珞《ようらく》の面に浮く艶やかに受ける印象と同じだ。魚体の両側に正しく並んだ十三個ずつの小判型した濃紺の斑点は、渓流の美姫への贈物として、水の精から頂戴した心尽くしの麗装に違いない。しかも藍色の背肌に、朱玉をちりばめしにも似て点在する小さく丸い紅のまだらは、ひとしお山女魚の姿容を飾っている。黒く大きい、くるくるとした眼、滑らかに丸い頭、あらゆる淡水魚のうち、山女魚ほどの身だしなみは、他に類を求め得られまいと思う。
 渓のなぎさに、葦の芽がすくすくと伸びた早春の頃は、数多く山女魚が釣れる。山の釣り人はこれを雪代《ゆきしろ》山女魚といっている。また、肉充ち脂乗って、味覚に溶け込む風趣を持ってくるのは、初夏から、渓水の涼風肌を慰める土用頃である。これを至味の変と言う。
 近年、都会人に渓流魚釣りの技が普及して、三月の声を聞くともう、魚籠《びく》を腰にして東京に近い渓谷へ我れも我れもと分け入り、重たいほど釣り溜めて帰ってくる。そして、渓流魚釣りは世間で言うほどむずかしいものではない、と語るが渓流魚釣りの真髄を味わい得るのは、山女魚の活動が敏捷になった初夏の候、谷の流れが澄明《ち
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