ょうめい》、底石の姿がはっきりとなる、朝と夕べのまずめであろう。
 くさむらから香りの高い山百合が覗く崖の下に立って、羽虫に似た毛鈎《けばり》を繰り、上下の対岸から手前の方下流へ、チョンチョンチョン、水面を叩きながら引き寄せるうち、ガバと水をわって躍り出す山女魚の姿を見るのは、晩春の夕|陽《ひ》が山頂の西の雲を緋に染めた一刻である。ひらひらと水鳥の白羽を道糸の目印につけて、鈎を流水の中層に流す餌にも山女魚の餌につく振舞に、何とも言えぬ興趣を感ずる。毛鈎の叩き釣りの豪快には比すべくもない。
 引く、引く。鈎をくわえて水の中層を下流に向かって逸走の動作に帰れば、竿の穂先は折れんばかりに撓《たわ》む。抜きあげて、掌に握った時の山女魚の肌の感触。これは釣りする人でなければ語り得まい。渓流魚釣りの魅力に陶酔する所以《ゆえん》である。

       二

 岩の割れ目から、月の雫のように清水の玉が滴り落ちる渓流の源には、山椒魚《さんしょううお》が棲んでいる。これは、源流の水温が最も低いからである。源流が下《くだ》って、せせらぎとなり滝に移るところには岩魚《いわな》が棲む。岩魚も冷たい水を好むからだ。それから下流には、山女魚が泳いでいる。岩魚も、山女魚も摂氏《せっし》十八度より高い水温を嫌う。であるから、この二つの魚は冷寂な渓流を好んで、里に近い流れには、あまりに姿を見せないのである。時に山女魚は、鮎やはやの棲む中流へも姿を現わすことがあるが、それは甚だまれだ。
 山女魚と岩魚は共に鮭科に属し、近い親戚ではあるが姿や習性が幾分違う。
 地方によって呼び名も違う。東京では正しくヤマメと言っているけれど、栃木県と群馬県の桐生地方ではヤモと呼び、福島県、宮城県、北海道などではヤマベと称している。また、ヤモメと言っているところもある。岐阜県から、滋賀県、京都府へかけてはアメノウオ、またはアマゴなどと呼び、中国地方ではヒラメ、九州ではエノハと名づけている。台湾の大甲渓に棲んでいるサマラオコスも、山女魚であると言う。
 山女魚は、鱒《ます》の子によく似ている。姿全体と言い、紫色に光る鱗と言い、十三個の斑点の並びまで、山女魚と鱒の子は殆ど見分けがつかない。初心の釣り人は鱒の子を釣って山女魚であるということがあるが、仔細に見るとどこか異なっている。鱒の子は山女魚に比べると鰓蓋が少し長い。そこで
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