枚の使用料をとられるのであるから、金持ち候補でなければ手が出せないのである。いかにも派手好みの頼母木が企てそうなことだ。
大隈伯が、応援演説にでれば当選はきまっている。頼母木が当選するのは我が党人であるからそれはよろしいとしても、頼母木が無暗に票を浚っていけば自分が危なくなる恐れがある。してみると、伯の応援演説は極力阻止せねばならない。三木は狼狽したり、激昂したりした。
伯は、公平であるから誰に味方しようというわけではない。自党の候補者が一人でも多く当選すれば満足なのである。ところが、伯爵邸は二派に分かれていた。奥方派と、玄関派に分かれて対立したのだ。奥方派は選挙がはじまると直ぐ伯爵夫人が総指揮となって頼母木桂吉を応援し、玄関派は伯爵の執事が大将となって三木武吉を声援したのである。
しかし、何としても奥方派の方には分がある。当時は候補者の戸別訪問が許されていたのであるから、候補者のお供をして歩く職人や若い者に、伯爵家から名入りの印|絆纒《ばんてん》をだして着せ、その上に伯爵の候補者推薦名刺には、大隈という認印まで捺《お》してある。
だが、玄関派は無産党であるから印絆纒などだす訳にはゆかない。名刺に、認印を捺すわけにもゆかないのだ。こんなわけで、三木はなんとしても分が悪い。かれこれするうちに、頼母木と三木を対比して、正閏《せいじゅん》論まで起こるありさまとなった。三木の運動困難と苦心は測り知るべきであろう。
ところへ持ってきて、投票日二日前の夜に総理大臣がでて、頼母木の応援演説をするという報に接したのだ。もう、黙ってはいられない。三木は、あの四角の顔と大きな口で伯爵邸へ飛び込んだ。
『総理、閣下は私には応援演説をしてくれぬお考えですか』
と、三木はどしんと大隈にぶつかった。
『いや、わしは自党の候補なら誰でもかまわん。わしは、公平じゃ』
『そうでしょう。それで私は安心しました。必ず私にも応援演説してくれますな』
『そうじゃ、じゃから、明晩にでも演説会場の用意をしたらええじゃろう』
と、伯爵は答えたのである。ところが、三木は困った。懐へ手を当ててみると、もう選挙費は殆ど使いはたして無一文にも等しい。頼母木に対抗して、なんで五百円もの使用料を要する演説会場など借りられようか。三木は窮した。だが、窮したが通じた。
『ですが、閣下それは無理です。選挙が明後日に迫っていては、もう何処《どこ》だって[#「何処《どこ》だって」は底本では「何処《どこ》だつて」]演説会場を貸すところなどありません。ですから、今夜頼母木と一緒に歌舞伎座で私の推薦演説をやってください。それができんとすれば、こん夜の頼母木の推薦演説はやめてください』
『そうか。じゃが今夜の頼母木の推薦演説をやめるちうことはでけん。やむを得んから、貴公も今夜共に推薦することにしよう』
『ありがたい。うそではありませんな』
『わしは、二枚舌は使わん』
三木は、横っ飛びに自分の選挙事務所へ飛んで帰った。もう、夕暮れである。参謀の者を集めて伯爵との談判の次第を語り、直ぐ腕強の者五、六人を歌舞伎座へ送り、玄関前へ内閣総理大臣推薦の頼母木桂吉の立看板と並べて『憲政会候補者三木武吉』の立看板を立てさせてしまった。これを見て頼母木派では、びっくりしたり憤慨したりした。両派の、十数人のものがこの立看板を取り囲んで、
『ぶっくじけっ!』
『命にかけても手はふれさせん』
などと、大した騒動がはじまった。
一方、三木は早稲田の伯爵邸から大隈の自動車に便乗して、総理大臣官邸へ行き、頼母木派に大隈を奪い去られないよう張り番している。そこへ、歌舞伎座から注進があって、いま三木派の者がやってきて勝手に立看板を立てたり演壇の近くへ大きなビラを下げたりして大混乱をはじめている。愚図々々していると、せっかく準備した会場がどうなるか分からないから、早く総理大臣にきて頂いて、演説を済まして貰いたい、と言うのである。すると、三木がその使者に、
『君たちは知るまいが、こん夜はわが輩と頼母木とを並べておいて総理大臣が演説することになっているのだ。わが輩の立看板を倒したりビラを破ったりすれば、こん夜の演説はやめにする』
『そんなわけはない』
『あるかないか、お前達は知らんことだ。四の五の言えば、総理大臣は歌舞伎座へはやらないことにするぞっ!』
そこへ、さらに続いて櫛の歯をひくように総理大臣の出動を催促する使者が次々にくる。けれども、官邸の玄関口でやっている押し問答は総理大臣室へは通じないから大隈は平然としている。そこへ堪りかねて頼母木が飛びつけて、伯に行き違いのことを尋ねると、そこに折りよく内閣書記官長の江木翼も居合わせて、
『総理大臣が、一人の候補者にのみ推薦演説をするというのは条理がたたないのは、政党人であ
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