尋常小学校五、六年頃になると、母親の眼を隠れては近くの池や川へ行くようになった。裏の薮から、篠笹《しのざさ》を切ってきて、それに母の裁縫道具の中から縫糸を持ち出して道糸をこしらえては、鈎を結んで出て行った。夕方帰ってくると、広い台所の隅へ生きている鮒や鯰を入れた兵庫樽を置いて、時々ながめては楽しんでいる。
私は『自分の子供の時と同じようだ』と、考えてほんとうに微笑《ほほえ》ましかった。
家内は『勉強をそっちのけにして置いて、鮒ばかり釣っていちゃ困る』と言って、私に叱るように言うのであった。
近所にも、子供の仲間がいる。その子供の親達が川辺で自然に親しんでいるのを見て、口やかましく叱るのを見た。けれど私は家内に、
『人間は、未開な遠い祖先の時代から釣りや猟で生活してきたのだ。それが、潜在意識となって今の人間にも残っている。子供が、魚を釣ったり昆虫を捕らえたりして喜ぶのは、その潜在意識を偽らず飾らずかたどるのであるから、はたでたしなめるのは、子供の天性をまげるようなものだ』
と、いったふうな意味のことを語って、小伜のただ一つの楽しみを妨げさせなかったのである。
少し大きくなると、
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