え。
 あら、ほんとなんですか。
 心、心に通ずるのは、ここである。そこで、二人は固く偕老《かいろう》を約して別れた。
 仙公狸は、有頂天になった。いよいよ、わが意図もその緒についたわけか。まず、これを親友の※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]《あなぐま》に報告して、彼を喜ばせねばなるまいと考えて一両日休学して水沢の九十九谷へ走って行った。
 ※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]さんいるかい。
 いるよ。
 眼を丸くし、大きなお尻を振りながら、※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]は穴の奥から、入口の方へ出てきた。
 久し振りだね。あまりたよりがないから、ことによったら貴公、人間に尻っ尾を押さえられ打ち殺されたのじゃあるめえかと思って、この四、五日烏啼きの様子ばかり気にしていたのだ。まあ、息災の顔を見てよかった。はいれ、はいれ。
 とんでもねえ、元気だ。めったなところで、尻っ尾を出すような仙公じゃない――。安心してくれ。
 そうか、そうでなくては叶わん。ところで、貴公の青年振りは素敵に立派なものじゃの、あく抜けがしているわい。
 さもあるべし。先祖伝来の通力を心得ている上に、ちかごろは人間さまと深く交際しているのだから、この山中の連中とは、大いに風采も変わってくるだろう。それで今日は貴公に報告して、喜んで貰いたいことができたので、わさわざ学校を休んでやってきた。
 はてな。
 というのは、このごろわが輩に恋人ができたんだ。
 そうか、それは珍重、してみると、賑やかな厩橋の城下の真ん中にも、狸の雌が棲んでいるらしいの?
 いやいや、狸じゃない人間さまの雌だ。
 さようか、その筈だ。おれはこの二、三日夢みが悪いが、さてはそれだな。
 夢みが悪いとは異なことをいうけれど、相手はぞっこんわが輩を慕っているのだ。もう幾千代かけての契りまで結んだのだ。
 鼻毛が長いぞ。
 これでわが輩の長い間のもくろみも、その意を達する機会が到来したわけだが、兄弟喜んじゃくれまいかね。
 まあ、結構だろう。だがね、随分用心してくれ、相手は人間だ。
 わが輩の手腕力量を信用してくれ。
 以上、友※[#「豸+權のつくり」、第4水準2−89−10]に相談したところ、敢て強く反対するほどでもなかったので、厩橋の下宿へ戻り小みどりの母へ縁談を持ち込んだ。
 母は、まだ相手が学生であるとの理由から、最初のほどは反対したけれど、愛《いと》しい娘が病の床へついたまま起きあがらないのを見て、ついに同意した。しかし条件があった。それは、家の事情でなお一両年稼業を続けさせて貰いたい。くらし向きに余裕ができしだい、婿さんに引き取って頂くことにするからというのである。
 さて、瀧川一益の家臣に、吉野雀右衛門と呼ぶ分別盛りの武士があった。厩橋市中取締を役目としているのであるけれど、雀右衛門という男は、この頃の政府の役人のように権柄《けんぺい》づくで賄賂を人民から捲き上げるのを常習としていた。そして酒の上が甚だよくない。宴席の口論から、同僚を傷つけた。
 当時、戦国で世は乱れていたから、権柄づくや、少し位の収賄は藩主もこれを論ずる遑《いとま》がない。殊に一益は女も好き酒も好きであったから人の酔心については、深い理解を持っていた。酒の上の過ちなど聞かぬ振りをしていたのだ。
 だが、いかに乱世とはいえ同僚を傷つけたのは、ただごとならん。これを黙って見ていたのでは家中のしめしがつかぬという段となり、雀右衛門は厩橋城から追い払われそうになったのである。
 どうしたものだろう、なにかうまい知恵はないものか。
 雀右衛門は、自分の下僚を呼んで相談し、懊悩《おうのう》の表現、まことに哀れである。
 雀右衛門の下僚というのは、小知恵のまわる男であった。
 吉野さん、そう心配せんでもよい、わしに思案があります。
 よき思案があるか、助けてくれ。
 殿様が好色であることは藩中誰でも知らぬ者はない。そこで、領内からみめよい女を二、三人捜し出し、それを殿様に献上すれば免黜《めんちゅつ》どころの話ではない。かえって禄高が増すかも知れません。
 まことに、壺にはまった思案だわい。貴殿が、それに叶う美女を捜してくれまいかの。
 合点。
 町奉行を勤める雀右衛門とその下僚とが、あまたの家来と隠密など動員して、権力を楯にして領内を捜すのであるから、大して骨の折れる業《わざ》ではない。
 この美女捜しの隊から、第一番に白羽の矢を立てられたのは、厩橋花街の華と唄われる小みどりである。まことにこれは当然の成行であった。下僚は雀右衛門に、
 身の代金は、百両も与えたらよがしょう。
 そうか、なるべく安いのがよろしい。ところで、僅かに百両でわが輩の首が継がるとあれば大した負担でもない。

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