もの、一度も理髪屋へ行ったことがない。髪が汚く伸びて、ふわふわと肩のところまで垂れ下がっている。手の指も細いのだ。
『いや、浪花節じゃありません。ちがいます、ちがいます』
 と言って、三人で極力弁解したが、なかなかお神さんは承知しない。俳行脚の者であると説明したところで、こんなお婆さんに理解がゆく訳がないのだ。
『嘘ついても駄目だ。わしには、ちゃんと分かっているがに、後生だ、一席きかしておくれんさい』
 こんな次第である。が結局、ほんとうに浪花節語りでない者は、何とお神さんが頑張っても無駄である。そこでそのまま、一晩だけ泊めて貰うことになった。

     八

 三人は広い一間へ通された。ところが驚いた。
 その室の天井は、半分腐って剥げている。屋根には、大きな穴があいて星が見える。剥げた天井の下の畳二、三畳は、雨に腐って溶けているのだ。雪もよいの空は、さつま芋を分けて食べた頃から模様が変わって、いまでは降るような星空になっている。だから、夜になってから寒気はきびしい。こんな一間でも、小さな爐が切ってあって、お神さんが釜の下の焚きおとしを十能《じゅうのう》に山ほど持ってきてくれたけれど、屋根の穴から通う風に冷やされて、さっぱり室は暖かにならないのである。空腹が手伝うから、からだが、がたがたふるえが出る始末だ。
 やがて、温かいご飯が炊けてきた。お神さんがサービスに沢庵《たくあん》と生味噌を、小皿に一つ添えてくれたのである。
 米櫃の蓋をあけると、玉汗はまず杓子《しゃもじ》でご飯を二つに分けて、一方を蓋に移した。それには理由があるのだ。元来、私は大めし喰いなのである。そして、掻っ込む速力がはやい。気ままにして置けば、人の二倍は食うであろう。それを、玉汗は前々から心得ている。だから、なるべく公平に、なるべく有効に、という風に思案したのに違いない。玉汗は、その作業が終えてから、
『君、蓋の方は今夜たべて、お櫃《ひつ》の方は明朝たべることにしよう。今夜、全部平らげてしまうと、あすという日が思いやられる。諸君よろしいか』
『よかろう』
 銀平は即座に答えたが、私は黙っていた。五合の飯を血気盛りの三人で食べたのであるから、それは大蛇が蚊をのんだようなものだ。さっぱり腹がくちくなってもこないし、からだが暖かになってもこない。
 空になった蓋を、米櫃の上にのせた。そして、三人は煎餅布団《せんべいふとん》にくるまって寝たのである。寝るとき玉汗は、飯が凍るといけないからと言って、米櫃を自分の床の中へ抱え込んだ。行火《あんか》の代用にするつもりであったかも知れないと思ったのである。
 寒い夜があけて、朝となった。屋根の穴に、あかい朝の光がさしているが、指先が痛むほど温度は下がっている。誰も浄水《じょうすい》を使いに行こうというものがないのだ。そこで私は、お神さんからお茶の一杯も振る舞って貰ってから早く朝飯にしたいと考えているが、玉汗と銀平は妙に落ちつき払っている。
『どうだい。そろそろ、めしにしようじゃないか、諸君』
 と、私は言った。
『…………』
 二人とも、何とも答えない。
『ひどく沈着に構えているじゃないか――ゆんべの味噌が少し残っているはずだ』
 私は、こう言いながら玉汗が寝捨てた布団にくるまっている米櫃を取りに行こうとすると、二人は一時にどっと笑い出した。そして玉汗は眼鏡を羽織の裾で拭きながら、
『味噌もめしも、ないよ』
 と、言うのだ。玉汗は不必要に眼鏡を拭うくせがある。
『なぜ?』
『夜なかに、二人で食っちゃったよ』
 これは、銀平が言うのだ。
『あっ! ほんとか』
 私は、転ぶようにして、布団のなかの米櫃へ飛びついた。だがほんとうに米櫃は軽かった。私は、ぼうっとしてしまったのだ。
 気が、われに返ってから二人にきいてみると、
『君に、先手を打たれるといけないと思って、夜なかに起きて食べた訳さ』
『ひでえなあ』
『悪く思ってくれるな』
 ああ、やんぬるかなである。

     九

 その日、小諸町から善光寺街道へ路をとって、途中でみつけた蚕糸組合や郵便局へまで、拙《つたな》い俳句の恥をさらしながら上田町を過ぎた。信州は昔から俳諧の盛んなところで、達者な人が数多くいるのを知らない訳ではなかったが、修業のためと考えて、歩きまわったわけであるなど、と私らは勝手な理屈をつけて歩きながら話し合った。
 上田から一里ばかり西の小県郡中条の木賃宿が、その夜の宿であった。そこでは宿の主人のまことに洒脱《しゃだつ》な夫婦喧嘩を聞いた。その次の日は、千曲川の流れに沿う戸倉の村をぼつぼつと西へ向かって歩いたのである。
 戸倉はちかごろ、温泉が復活してからすさまじく繁華になって、いまはもう昔の親しみ深い宿場の模様を偲ぶよすがもない。西洋づくりの店が、軒を並べている。商店のウインドに、ネオンの管が渦巻いている。あのとき、この村の縄暖簾《なわのれん》で鍋一枚七銭の馬肉を食べ、吉原土手では一枚四銭であるのに、と言って憤慨してからもう年月はいくつ流れたであろう。あの縄暖簾は、宿場のどの辺にあったのであろうか。このたび、思いがけなく傷兵慰問の旅にきて、ひさし振りに信濃路の古き山河の俤を偲び、いまもなお、わが身に去りし日のあの若き血潮が生きているであろうか、と考えてみたのであった。[#地付き](一五・四・一)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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