れを買ってくださいとは言えぬ。無理もない。
『勇気が出ないか』
『駄目だ。売り捌きの方は免職させてくれ』
『そうだろう。僕なら一層駄目だと思うよ』
私は、銀平を慰めた。すると、銀平の顔は俄《にわか》に明るくなった。
『やむを得ない。まあ一つくらい素通りしても、これから、いくらでも学校や役場はあるはずだ。しかし、この次は頑張ってくれ小池君。でないとこの十枚の短冊が無駄になるのはかまわないとしても、愚図々々していると胃袋の虫が承知しなくなる』
居候関係は、高崎をたつと同時に一応解消して、三人は平等の人間になったようなものの、玉汗の言葉は依然として重きをなしていた。
四
碓氷《うすい》峠の登り口、坂本の宿へはまだ一、二里あろうという二軒在家の村へついたとき、もう浅春の陽はとっぷりと暮れていた。寒い西風が、村の路に埃をあげて吹いている。
晩飯と、どこの軒下でもいい、一夜の寒さを凌《しの》ぐ場所を求めたいと思うと、俄に気が焦ってきた。思いきって、そこの小学校の校長先生を訪れた。ところが校長先生は、つい四、五日前単身奥利根の方から転任してきたばかりだと言って、小ざっぱりした百姓家の第《やしき》に下宿していたのである。百姓家のお婆さんが第の方へ案内してくれた。
三人は校長先生に、とぎれとぎれに拙い言葉でつぎはぎに、旅に出た由来を申しあげた。そして、最後にこの短冊を買って頂きたいと、恐る恐るお願いしたのである。
ちょうどその頃は、学生の無銭旅行がはやった時代であったから、校長先生は別段驚いた風もない。気軽に、
『そうか――わしも、俳句は好きだ。どれ、みせてごらん』
と、言って短冊をとりあげ、
[#ここから2字下げ]
木瓜剪るや刺の附根の花芽より
[#ここで字下げ終わり]
と、読んだ。そして、しばらく首を傾げていたが、
『まずいなあ、この俳句は――』
こう言って、眉と眉の間へ皺をよせるのである。
『はい』
私は、面目なかった。顔が、かっと熱くなった。それはただ、俳句の拙《つたな》かったのが面目なかったばかりではない。この場合、そのために短冊を買って貰うことができなかったら、どうしようかと思ったからだ。
玉汗も、銀平もべそを掻いている。校長先生はそれをみて気の毒になったらしい。
『まあ俳句はどうでもいいが、こんなに暗くなってから碓氷峠を越す気かい。越せまいな――そこでどうだ。こんなせまいところで辛抱する気なら、こん夜ここへ泊まっていったらどうだい』
まことに、予期に反した親切な言葉である。三人は口を揃えて、
『はい』
と何の猶予も、考慮の風もなく、声を返すように答えた。
『そうだろう。急ぐ旅でもなさそうだ』
そのときほど嬉しかったことを、かつて経験しない。恐らくこれから先もあるまいと思った。
三人は、足袋の埃を叩いて座敷へ上がった。校長先生は、小型の南部の鉄瓶から自分で茶をいれてくれた。先生は、茶をのみながら俳論をはじめた。ところが静かに聞いてみると、校長先生は私らよりも、よほど造詣が深かった。私らは感服して、首を前へ傾げた。
が、私はそれから二、三十分たつと自分の胃袋が、ぐつぐつと鳴るのを聞いた。胃袋が鳴るのに気がつくと、頭がじんじんするほど空腹を感じてきた。まことに相済まぬことだが、そうなると先生の声が耳へうつろに響く。
五
――何とか、飯のことを言い出してくれそうなものだな――
と、そればかり考えた。
――だが、俳諧の好きな人は、わりあいのんき者が多いから、そんなところへ気がつかないかも知れない――
などとも考えてみた。それは、心細い思いまわしだ。結局先生がそこへ気がつかなければ、このまま寝かして貰うよりほかに順序はない訳である。
しかし、そう簡単に見限るものでもあるまい。何とか苦心してみるのも、手段であると考え直した。
そこで私は、きょうの昼飯は、さつま芋の蒸したのを五銭買って三人で分けて食べただけだ、というようなことを遠まわしに話した。俳論に夢中になっていた校長先生は漸くそれをさとったのであろう。
『つい、忘れていたが諸君、晩めしはどうした』
と言った。
先生は無頓着だとこちらで勝手にきめて気を落としてしまわないのが幸運であった。つまり、私の遠まわしが、効を奏したのである。
ところがだ、何たることだろう。貧乏でありながら、日ごろ見え坊ではにかみ屋の玉汗は、眼と眼で私らに何の打ち合わせもしないで、
『いえもう、さきほど途中で済ませました。ご心配くださいませんで――』
と、やってのけた。私は、ぎっくりして横眼で、きつく玉汗を睨めた。けれど、玉汗にはそれが何のための私の表情であるか分からない。私の心胆を砕いた遠まわしも水泡に帰した。もう取り返しがつかないのだ。
『
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