百三十文位の値段の酒を用いたのであろう。
茨木春朔の墓は、小石川戸崎町瑞鳳山祥雲寺にあり、正面に不動の立像を刻し、左に法名は酒徳院酔翁樽枕居士。左に辞世の二首、
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皆人の 道こそかわれ しじの山 打ちこえみれば おなじふもと路
南無三ぼう 数多の樽を 飲みほして 身はあき樽に 帰る古里
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と、いうのが刻んである。台石の蓮花の中に、延宝八庚申正月八日とあるのは、この碑を建てた日である、と※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭《いんてい》雑録に載っている。戸崎町は、私の陋屋《ろうおく》から遠くはない。近く小春日を選んで、祥雲寺に我ら酒徒の大先輩の墓を展し、礼を捧げたいと考えている。
蜀山人の書いた『酒戦記』の事実は、江戸北郊千住宿六丁目に住む中屋六右衛門という人の隠家で、文化十二年霜月二十一日に行なわれた酒合戦の模様を描写したものである。この酒合戦に集まったもの一百余人。中には、狂花(腹立上戸)、病葉(眠り上戸)、酒悲(泣き上戸)、観場害馬(理屈上戸)などもやってくる。席に、宮島盃(一升入り)、万寿無彊盃(一升五合入り)、緑
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