込む土間で、その処分についていがみ合う。昭和六年の東北地方の凶作の年の、哀れな農村の生活の姿が、詳《つぶ》さに書いてある。
 処分について問題となっているのは熊の皮と胆嚢と肉とであるが、寒夜の高利貸らも村人も熊の肉には、ひどくよだれをたらしているらしい。それはともかく、凶作の年の猟師らには銃猟税など納められない。高値な火薬々玉など買う筈もないのだ。親から伝わった鉄砲も、すでに売り払って米に代わった。
 鳥海山に熊がいる。それを獲って売って、米を買うことを考えたが、鉄砲のない猟師らは己の腕力に物をいわせる外に、手段はないのだ。一人の猟師は、古槍を携えた。も一人は、鉈を握って行った。も一人は、鋤《すき》を舁《かつ》いだ。そして、大熊を刺し撲殺して麓の村のわが家へ持ち込んだのだ。なんと勇ましく、命がけのことではないか。
 それにつけて、想いだすのは私の意気地なさである。先年、奥利根川の支流楢俣沢へ岩魚《いわな》釣りに行ったことがある。一夜を渦の小夜温泉であかし、翌朝、宿をたって尾瀬ヶ原に通ずる崖路を、竿を舁いで一人で登って行った。朝は、昧暗から次第に薄明に目ざめて行くのである。淡墨の霧の底に
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