うのがある。そのまた支流に、湯西川と称する渓流があって、これは会津境の枯木山に水源を持っているのである。水源に近いところに湯西川温泉という岩風呂の景勝までは、よく人のいくところだが、それより一里奥の高手と呼ぶ平家の落ち武者が営んだ部落へは、訪《とぶら》う人が少ない。
 三、四年前の四月の末、私は釣友三人と共に、この湯西川渓谷から、富士ヶ崎峠を越えて、奥日光の上呂部渓谷へ降り込む旅に、高手の部落へ足を入れた。
 ところが、一軒の樵夫《きこり》の家の軒に、生々しい熊の皮が、赤い肌を陽に向けて、三枚も吊るしてある。私らは、その庭で藁仕事をしている老人に、熊の皮のわけを問うと、これはきのう富士ヶ崎峠の右脇の谷に、穴住まいしていた大熊を三頭一時に撃ち取り、けさ皮を剥いて干したばかりだと答えるのである。
「こりゃ、しまった」
 富士ヶ崎峠と言えば、これから我々が越えようとする峠だ。熊の住み家ときいては、恐ろしい。ここで引き帰そうというと、老人はその心配はない。いるだけ取っちまったから、もういない。と、言うのである。
 そこで我々は、びくびくもので太郎山に対峙する富士ヶ崎峠を越えたのであるが、一体東
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