、野菜の点彩がなければ、割烹《かっぽう》の理に達したとはいえないであろう。
 野菜の至味を想う頃、筆者の食感を揺するものに、初秋の鮎がいる。共に、野趣豊かな高い香気を持つゆえのものは、一つは地中の滋汁を吸って育ち、一つは川底の水垢を採って生き、何れも大自然から直接栄養を得ているためではあるまいかと思う。
 鮎は、七月下旬から八月中旬にかけて肥育の極に達した頃を至味といわれているが、初秋の風、峡谷の葛の葉を訪れる候に、そろそろ卵巣のふくれてきた大鮎は、また棄てがたいのである。腹に片子を持つと腸の渋味に、濃淡の趣を添えて、味聖の絶讃を買う。しかも、錆鮎の頃と異なって、脂肪も去らず肩の付け根から胴へかけ、肉張りが充分厚いのである。
 季節によって、味に凋落高調のあるのは鮎ばかりではあるまい。また、野菜、魚類、獣類とも産地によって味を異にする。殊に鮎は、産地と味とに深い関係を持っているのである。産地を知り、魚品を知ってその味を含み分けるところに、食道楽の嗜趣を認め得ると思う。それは、都会の割烹店に座して美女の接待にのみ、味覚を働かせたのでは望み得ない。旅にまかせて、諸国の川を渉漁《しょうりょう
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