持つてゐるけれども、神様がかつたところがない。つまり、それは下手な拝み屋といふことである。従つて、呉清源のほかに狂信者がまことに少い。それでは、拝み屋としてはしやうばいにならない。御賽銭や献金も少いから、生活にも影響してくる。なんとか考へねばならぬ。
一体、新興宗教といふものは教祖が男であつては役柄にはまつてゐないのである。天理教でも、大本教でも、なんとか教でも、すべて新興宗教の祖は女であつた。女ならでは夜のあけぬ新興宗教界である。さればといつて両国の拝み屋は女に変装して世に出るわけには参らないのだ。
当時、神戸に奇言奇行を巧にする年増女がゐるといふことを伝へきいた。これを東京へ連れてきて、吾が家の教祖に仕立てたならば当るかも知れないと考へた。直ぐ拝み屋は神戸へ走つて行つて交渉してみると、年増女は、ぢやの道は蛇であるから、東京行を二つ返事で承諾した。両国へ伴つてくると、拝み屋は我が家の教祖に祭り上げ、且つ又内儀といふ境遇をも与へ、熱心に奇言奇行に研きをかけさせると、一つぱしの教祖姿に出来上つたから、世の中にデヴユーさせた。これが、即ち璽光尊の本体である。
璽光尊の本体を解剖して細
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