叙すれば際限がないからこの位にして止めて置くが、拝み屋さんが年増女を教育して、あらぬことを口走らせると、これが大いに当つた。そこに拝み屋の伯父さんが璽光尊の内閣総理大臣、呉清源が幹事長、呉の嫁さんが巫女の取締役といふ役割を作つて各地に出開帳を行ふと、図に当つて素晴しい人気を集めた。角力の双葉山が旗将となつて尾《つ》いてきた。
 以上の経過で、呉清源は璽光尊を妄信したわけではない。たゞ単に、妻の伯父に義理を立てて日本各地を歩き廻つただけである。しかし呉清源は、今後どこに新興宗教を求めて歩きだすか、それはほんたうに分らない。彼は若いときから道教を学んで、どこかで仙人にめぐり会ひたいと日ごろ念願してゐるからである。

 四谷信濃町に在る犬養木堂の邸を、ひよつこり日本棋院の重鎮瀬越憲作が、同じ七段の岩佐※[#「金+圭」、第3水準1−93−14]と共に訪れた。爽凉の気、外苑あたりの叢園に漂ふ昭和二年の秋の一日である。
「諸君ひさ/″\ぢやの」
「大分御無沙汰でございました」
「時になんぢや、重鎮が二人顔を揃へてやつてくるちふのは――」
「実は突然ですが、先生に一骨折つて頂きたいことができましたの
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