呉清源は伺ひを立てて指揮を待つたのである。すると瀬越八段は、
「なあに、あんな狼連をまねないでもよろしい」
と答へた。それで呉は、ほつと安堵の胸を撫でおろした。そのときの、彼の顔は今も忘れない。
呉清源は、日本へ来てからも、仙道を求めてやまなかつた。しかし、日本には仙人はゐない。老子の哲学を学ぶ同好の士もゐない。そこで彼は、日本の邪教や拝み屋のうちから、仙人の姿と仙の思想を発見しようとした。
彼は日本へきたのは十三歳であつたがその翌々年の十五歳の春、だしぬけに師匠瀬越八段の家から抜けだして姿を隠した。さあ、瀬越家では大混乱である。わざ/\中国から預つた秘蔵の愛弟子に万一のことがあつては申しわけが立たないと、百方手を尽して彼の行衛を探したけれど皆目分らない。それでも、たうとう彼が丹波亀岡の大本教の本山に、参籠してゐるのを発見したのである。師匠瀬越は直ぐ亀岡へ馳けつけ、いやがる呉清源を二日も三日も口説いて、漸く東京へ連れ帰つたことがある。
その後も彼は、邪教や拝み屋などに仙の思想を探してやまぬ。今から十年ばかり前である。彼は、西両国のあるところに一人の拝み屋を発見した。そして、こ
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