遇した場合、どの点を撰んで処理するかは、人間が百年考へても、千年考へても、考へ及ぶものではないのである。そこに「天授の一石」が生れてきたと呉清源はいふ。
囲碁は、もと奕と謂ひ太古尭帝が山中に於て仙人から伝授されたもので、その理は深幽遠大、天地融合の相を示して太極を究むるは宇宙と共に悠遥たるべしと称されるのであるから、難局に際しての一石は天の命ずるところに従ふよりほか術はあるまい。
この思想は、元来東洋哲学から生れてゐるのである。老子の哲学である。老子の哲学は、仙人の哲学である。呉清源は少年のころから老子の哲学を好んで学んできた。今日でも同じである。さうして仙人の道を求めてきた。であるから呉の風格は、仙人に似て測り知れないところがある。そんな次第で、彼の一生を普通人から見れば、奇行の一生といへるであらう。
昭和十年ごろの夏の一日であつた。瀬越、小野田、橋本、篠原、呉清源などの日本棋界の強豪と、報知新聞の生駒※[#「皐+羽」、第3水準1−90−35]翔並に私など、木更津の海へ簀巻の漁に行つたことがある。その日、漁が終つて潮が上げはじめると南の風が伴つて海が荒れ、浪に弱い生駒※[#「皐
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