碁の闘ひを持つてゐます。遠からず私が、日本の棋界を征服して凱歌を揚げて故郷中国へ帰つて行く、その確信です。蒋介石よ、その日がくるまで隠忍自重してさうして最後に溜飲を下げて貰ひ度い。といふ念願です」
かう語りながら、呉清源は面を紅潮させ、清純な眼底を輝かせた。
私は、これをきいて、ひとりでに頭が下つた。眼頭に熱いものを感じた。
しかしながら私はこの話を誰にも語らなかつた。殊に、戦争中血を見て吾れを忘れてゐる日本人がこの話をきいたならば、どんな不祥事が起らぬとも限らないと思つたからである。
呉清源が今は、日本棋界征服の緒についたこと、私が今から十三、四年前彼を訪ねて、この話を交したことを想ひ合せて、読者諸兄にこの一文を読んで戴きたいと思ふ。
そのとき、呉は二十二歳の若年であつたのである。旺也其念力。
呉清源は、屡々「天授の一石」といふ言葉を唱へる。
碁の盤面は縦と横と各十九区劃宛に割られてゐる。総計僅かに三百六十一劃であるが、その変化をかぞへるときは何百億、何千億といふやうな天文学的数字となつて打つ手の変化は到底人知の及ぶところではない。難局の際、勝敗を決する一手の打着に遭
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