十五年の初夏のことであるから、もう三十年近くの昔になる。当時、私は三州豊橋に遊んでいたので一日彼を、豊川の流れの近くの家へ訪ねて行った。折りから彼は、選挙最中で犬養木堂の家来として国民党の候補に立ち、大分忙しそうであったが、私を応接間へ通し黄色い声で、なにかひどく威張ったのを記憶している。
そのとき、眼鏡をかけた細面の奥さんも応接間へ現われたと思う。きょう、ちょいと婦人傍聴席を見ると、あのときの記憶の奥さんに似た細面の眼鏡の婦人が一番前側にいた。だが、あれからもう三十年もたつのに、あのときの若さと同じ婦人だ。もし、大口の奥さんであったとしたら、女というものは随分お歳を召さぬなあ、と思った。大口が演説をはじめると、熱心に聞き入っていた。
大口の奇声は議会の名物であったが、きょうの演説をきくと、頭のてんじょく玉から飛びだすような黄色い声でない。これは、甚だ寂しかった。やはり、老年になると声にもさびがつくのかと考えて、そのもの足らなさを隣に腰かけている人に話しかけると、隣の人は、いえあれはいまでも奇声なんですよ。だが、拡声機が上等だから、もう奇声を出す必要がないのでしょう、と答えるのだ。
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