る気になった。先年、小山松寿が議長になったとき、人はああいう処世術でやってきた方がいいのかな、と思ったのだ。
というのは、大正七、八年ごろ、私が毎日議会へ遊びに行っていた時分、まだ小山は初老の議員で人柄がおだやかで、憲政会総裁加藤高明の顔さえ見れば議員控室であろうと、廊下であろうと、三太夫が殿様に接するような物腰で、ペコペコと頭をさげていた。ほかの議員達は国士めいた顔つきで、肩いからしているのが普通であるのに、この議員はなにか目ざしているのか、まことにはや、にやにやとホテルの番頭さんのようだ、と感じたのであった。
そんな人柄の小山議長が、いじめられるというのであるから、きょうはどんな風に頭をさげるであろうか、と昔のことを思い出して衆議院へ行ってみた。ところで、開会|劈頭《へきとう》社大の浅沼が管《くだ》を巻いてかかると、小山議長は昂然として浅沼に一撃を加え、騒ぐ議場を尻目にして日程変更を宣した。
人間は、偉くなってしまえばなあ、と思った。昔のペコペコの俤はない。
それからやがて、大口喜六が壇上に起《た》った。これも、私には思い出の人だ。ひどく演説がうまくなったものだ。
明治四
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