じられないものか、と友人のある捕鯨会社の幹部に問うてみた。そこでその友人が言うに、それは君の認識不足だ。鯨の上肉は到底、山鯨やなめくじらの比じゃない。晒し鯨や缶詰を食っただけで、鯨の味品を論ずるとは僭上至極、近く機会を求めて鯨肉がどんなにおいしいものか君に食わせてみせる。食ってみてから議論を聞こうという気焔である。
 晒し鯨は、鯨の皮膚から脂肪を絞った糟だ。缶詰にするのは、肥料にしても惜しくないような肉だから、君が賞讃しないのも無理はないが、一体関東人は鯨肉の本性を知らない。馬肉の方を上等なりとしている人さえある。ところが、大阪人は鯨の肉をよく知っている。紀州や土佐の国など鯨の産地が近いから、鯨の生肉がたやすく手に入ったためであろう。
 しかし、大阪の商人はひどいことをやった。生肉のおいしいところは、大阪で上手に料理させ手前たちの口に入れてしまって、捨ててもいい下等の肉、つまり動物園へでも運びこもうか、という代物《しろもの》を缶詰にこしらえて全国へ売り出したから、鯨はまことにおいしくない、ということになってしまった。鯨肉をまずいものにしたのは、大阪商人の罪だ。
 それはとにかくとして、
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