は儲けた。今回の出漁は、これでやめることにしよう。ということになって鮎川を出て四日目の夕、沖から帰港の途についた。最後の夕飯であるから別れの鯨を食おう。という訳で食堂に集まったのが、船長はじめ一等運転手、機関長、水夫長、無電技師に私らである。給仕が第一に運んできたのが鯨の味噌漬けの焼いたのに、鯨テキである。これは、ほんの前菜に属するらしい。本物は、鯨のすき焼きだ。狭い食堂が、鍋下の火気で暑い。いずれも肌抜ぎで鍋と首っ引きをはじめた。
よく食えるものである。牛のひれ肉よりもっと柔らかい。そして、薄い脂肪がほんのりと唾液を誘う。肉片の適当に分解したところを捕らえた烹調《ほうちょう》の旨味は、昔の料理書にある熟して燗せず、肥にして喉ならず、といった頃合《ころあい》ではないかと思う。
ひどく、鯨ばかり食ったものだ。これで堪能した。まことに、鯨肉に対する認識を改めた訳である。東京へ帰ってから一週間ばかりたつと、あの味を思い出して唾液が舌に絡むので何とも堪えられない。そこで、築地の河岸へ行って捜してみると、まさに鯨の腰肉というのがあった。値段をきいてみて驚いた。百匁四円五十銭だ。と吹っかけてちょっと手がでますまい、と言ったような顔をする。これでは、東京に鯨肉が普及しない訳だ。
欲張りをも顧みず、鮎川港の生鯨解体作業場へ手紙を出した。ありがたいことに、腰肉を大樽に一樽贈ってくれた。
これを友達数人と、道玄坂のさる割烹《かっぽう》店へ提げ込んだが、ここでは残念なことに、船で食べたような調理の旨味をだしてくれなかったのである。
最近、大阪へ旅行したから有名な新町の鯨料理屋へ行って食べてみたが、ここの水たきと、醤油漬けはさすがに旨かった。瓦斯ビル裏の鯨料理は感服しない。
キャッチャーボートは、この月末に南極の海へ母船と共に、巨鯨を狙って出発するという。その船長連が二、三日前東京へきて会食したとき、来年の四月、日本へ帰ってくるときには、南氷洋の雄鯨の睾丸と甲状腺、雌鯨の腰肉を塩漬けにして持ってくると約束してくれた。
それを食べたら来年の夏は、随分元気が出ることだろう。
五
河豚《ふぐ》の魔味に、陶酔する季節がきた。
だが河豚の毒にあたって昇天してしまってはやりきれないのだけれど、そうめったに中毒するものではないから安心だ。日本の近海には三十数種類の河豚がい
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