ちに襲われて、賢彌は三里の下り路を、猿ヶ京の乗合自動車の立場まで、喪心して走った。立場まで走りついたとき、ついに身を支えきれなくなって、思わず路傍の草によろよろと崩れ伏した。
その日の夕方、沼之上の家へ帰って、賢彌は祖母と母に法師温泉で見た妖女の話を語った。これをきいた祖母と母は、ただ一言、
「そうかね」
といっただけであったが、二人の顔には暗い表情が掠め去った。
沼之上の農村は、利根川と烏川と合流する三角州の上に群がっている。賢彌の家は東に利根の河原へ続き、南方には烏川が西から東へ流れて遠く明るい見晴らしを持っていた。西川渓谷が赤谷川へ落ち込み、赤谷川は大利根へ合流し、利根川はさらに流れ流れて三十里の下流、賢彌の家に近い岸を洗っている。
その後、なにごともなく夏が過ぎ秋がきた。爽やかな風が吹く十月下旬の陽《ひ》が、遙かに西方信州境の荒船山に落ちて間もないある黄昏のことである。秋は空気が澄んでいたためであろうか、陽が落ちて夕暗が樹かげや、家のかげから忍び寄ってきても、路行く人の顔は、はっきり見えるものである。賢彌は読書に飽きて庭に立ち、ぼんやり門のそとをながめていた。
ところが、門のそとの路を東から西の方へ往く若い女の姿が、映画の一駒が瞬間に銀幕を過ぎるように、賢彌の瞳に映ったのである。記憶のある美しい女の横顔。
――そうだ、法師の女――
賢彌のからだは、細かく顫《ふる》えた。だが、賢彌の足は門のそとへ向かって走っていた。女のうしろ姿を見ようとして、門の廂の下に立ったけれど、黄昏の路上に人の姿はなかった。
そのことがあってから後、賢彌は四、五回ほど、門のそとを過ぎ往くあの美しい女の横顔を、夕景のなかに見たのである。しかし、女は一度も門のうちへ正面を向けたことがない。いつも横顔のまま、門前を過ぎて行く。
十一月に入ってからは、夕方がくると庭へも門の廂にも佇まぬことにした。幻奇の予感が、賢彌に濃く漂いはじめたからである。しかし、この妖しい出來ごとについては、固く口をつぐんで祖母にも母にも一言も語らなかった。
九
晴れた空に星が冴えて、木枯らしが水の面に、はらはらと落ち葉を降らせてくる夜である。赤谷川の相俣の淵は、両岸に百尺あまりの絶壁が屏風のように衝《つ》っ立ち、日中でも澹暗が漲っている境地であるが、やがて絶壁と絶壁が相対する截《き》れ間から、二十日ばかりの月が寒い光を水際の巌の上へさし込んできた。
月の光を浴びて、巌の上へ映し出されたのは、一頭の巨猿であった。万太郎猿が、病める相俣の淵の岩魚を見舞いにきていたのだ。
上越国境を、東から西へ縦走する三国山脈、この山脈の東端から南会津の方へ向かって続く万太郎山、谷川岳、茂倉岳、朝日岳、兎岳、牛ヶ岳、八海山、中の岳、駒ヶ岳、銀山平など、奥上州の裏側に並ぶ越後国南魚沼の山地には、昔から野猿の大群が棲んでいた。ところで、この猿の大群を支配するのは、谷川岳のすぐ西に隣る万太郎山の裏側、越後に向かった高い崖に棲む齢も知らぬ老猿である。つまり、上州と越後に連なる奥深い山岳地帯は、この巨猿の縄張りであるのだ。上越の猟師も出羽の方から稼ぎにくる猟師も、折々この老猿を遠く高い岸の上に見ることはあるが、猟師共はこの猿を万太郎猿と呼んでいる。そして、誰もが申し合わせたように、この猿に筒先を向けぬことにしてきたのである。
老猿の後頭から首筋、背へかけての毛は金茶色に光っている。
さきほどから猿は、片割れ月のかげを浮かべた淵の面を、丸い大きな眼で覗き込んでいる。しばらくすると、淵の中層に黒い雲に似た彩が動き、やがてそのかげが淵の面に映した月の光を乱すと同時に、朦朧として水上に女の姿が立った。岩魚の精。
水の上を水際に近づいてくる女の容を見ると、初夏のころには露ほどもなかった窶《やつ》れが、頬や肩のあたりに現われている。この窶れのためか、相俣岩魚の姿は、ひとしお妖しく美しい。
この姿を見て、老猿は微笑んだ。
「ちかごろ、具合はどうじゃの」
と、巌の上から水際の岩魚に問うた。
「はい、ありがとう存じます」
緑の黒髪が、水際の小波にゆらゆら揺れる。
「焦ってはいかんな、あははは」
老猿は、高く笑った。
「でも――」
岩魚の精は、羞《はずか》しそうな姿態をつくったのである。
「気を揉んだところで、時節がめぐってこなければ駄目じゃちうのは、お前さんも承知じゃろうがな」
「さ、それはそうですけれど――」
「あれはどこへもいけない人間じゃ、必ずお前さんの懐《ふところ》のものになるのは分かっているじゃろう」
老猿は、慈心に富んだ表情で巌の上から岩魚を見下ろしているのである。魚精は痩せた顔に澄んだ眼をあげ、老猿を仰いだ。
「石坂の家は先祖代々、息子が嫁を迎え、その嫁が一人の子供を生まんうちは、わしらのようなものの精が、どんな妖気を弄んだところで、あの息子を拐《かど》わかすことはできない。つまり石坂家の持っている天命を、われわれが左右しようといったとてそれは無理じゃ。まあ、落ちついて時節のくるのを待つがよい。その時節は、遠いことではあるまいとわしは思うね」
「ですが、わたしの乙女心をお察しください」
「乙女心か、あっははは――ところでね、賢彌君の曾祖父さんが、渋峠の西に当たる横手山の渓谷の岩窟に、野守の精ともう百年近くも共に棲んでいるのは、お前さんも知っている筈じゃね。わしはお前さんのわずらいが心配になるので、二、三日前横手山へ出かけて行って、曾祖父さんに相談してみた。一日も早く賢彌さんを相俣淵へ引き取って、岩魚を安心させてやりたいが、なんとかならぬものでしょうかといったところ、一言のもとにはねつけられた」
「それはご親切に――厚くお礼を申しあげます」
「お礼で痛み入る――ところで、嫁を貰い子供を儲けぬうちに賢彌を誘拐すれば、石坂家の系図はそこで絶えてしまう。もし、早まって強いて賢彌を誘い出すような不心得のことをやれば相俣の岩魚めはひと捻りに捻りつぶす。そのときは、貴公も同罪じゃから只では置かぬと曾祖父さんから大喝を喰ったようなわけじゃ。じゃが、条件さえ具備すれば、これは石坂家に伝わる運命じゃから貴公らが賢彌を煮て食おうと焼いて食おうと――」
「そうでしたか、では静かに時節のくるのを待つよりほかにいたし方ありませんね」
「そのとおり、そこでしばらく燃ゆる恋心を抑えて、身のわずらいを癒《いや》す思案でもするがよかろう」
「心を落ちつけます」
「そうでなければならぬこと。そして、からだを達者にして置いて恋人を迎えにゃなるまい」
「ほほ」
月は次第に西の空にまわって、対岸の高い絶壁のかげに隠れた。月光を失った淵の面と河原は、俄に暗いかげの底に吸い込まれて行ったのである。巨猿の姿も、魚精のかげも幽黝《ゆうゆう》の底に抹消された。
十
正月がくると、石坂家へ目出度い縁談があちこちから持ち込まれた。一体、石坂家に伝わる幻奇については、近郷に知らぬものはないのであるけれど、不思議なことに代々縁談に不自由はしなかったのである。石坂家は、この地方では有数の豪農で豊かに生活し、城郭のような屋敷を構えていることも世間の思慕を惹《ひ》いている理由であるに違いない。代々の祖母や母が、息子のために多くの縁談のうちから、贅沢な嫁選びをしてきたほど、幸福であったのである。
賢彌の縁談も、同じようであった。いま、賢彌の祖母や母に、白羽の矢を立てられようとしているのは、大利根川を隔てた対岸である武州の、これも豪農の美しい令嬢である。仲人は、目出度い談を纏《まと》めようとして、幾度も渡し舟に乗って石坂家を訪れた。
賢彌が、岩魚の精と共に永久に深淵に棲む運命を迎えるのはいつのことであろうか。
[#地付き](昭和二十二年二月一日)
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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