出て以来、この信州と上州の国境に聳える横手山の洞窟に齢老いた野守《のもり》と夫婦の暮らしを営んでいる。これから先、幾百年も幾千年も、このままこのあたりにいるであろうが、わしに逢いたいと思うたら、なん時なりと、この渋峠の頂へ来るがよい」
「野守といいますと?」
「それは、説明せぬがよかろう」
こう老爺が答えたとき、賢彌は自分が友人達に遠く遅れていることに気がついた。と同時にちょっと後ろを振り向いた。もちろん脚力の強い人々が遠く往ったのであるから賢彌の眼に見えるわけではないから、再び老爺の方を振り向くと、そこにはもうなに者の影もなかった。ただ、雪の峠路が続いているばかりである。
老爺の姿は、幽風のように消え去っていた。
五
沼之上の家へ帰った賢彌は、挨拶が済むと直ぐ、渋峠の頂で曾祖父の姿に逢った次第を物語った。祖母みよはこの話をきいて、深く心に思い当たるところがあったのである。
それは、姑のふみ女が存命の折り、姑は嫁にときどき、わたしの良人裕八郎は、どこか遠い遠い山の魔に魅せられていた。と、話したことのあるのを記憶していたからである。祖母のみよは、うっとりとして孫の物語をきいた。
「おばあさん、野守というのはなんですか」
こう、賢彌は祖母に問うたのである。祖母は、野守の伝えごとについて知っていた。
「野守というのか、それは大蛇です。雌の大蛇が千年の寿を亨《う》けると、胴体に四つの肢を生じて妖精となると聞きました。その妖精は、美男を求めて、その生血を吸うと伝えられているから、あるいはお前のひいお爺さんは、その野守に生きながら魅入られてしまったのではないでしょうか」
と、説きまた自らも判断したのである。しかし、みよ女の想像は当たっていた。明治十一年から十二年の秋、裕八郎が四万温泉へ遊んだとき、彼は一日小倉の滝あたりへ散歩したことがある。その折り裕八郎は、滝に近い山径で一人の若い美女に逢ったが、ふとした言葉の交換から、ついに将来を契ったのであった。
そのために裕八郎は、小倉の滝からさらに十里も奥の横手山に棲む野守の精に、若い生命を捧げる運命を持つことになったのである。
「賢彌、もうそんな寂しい話はやめましょうよ。ですがね、もうお前も子供ではないのですから、石坂家に伝わる男の悲しい運命を知っていると思います。ですから、やがてお前の身の上にも、その運命がめぐってくるのでありましょう」
「おばあさん、僕にも分かっています」
賢彌は、悄然と微笑した。
「ところでね賢彌、一人生まれて一人失うという歴史では、石坂家は未来永劫家族は増えませんね。ですからね、今度お前が嫁さんを貰うとき、一度に三人お嫁さんを迎えてくれないか。そして、一度に三人子供を生んでくれないものかね、ははは」
祖母は、悲しい話を笑いに紛らした。母のきみ女も傍らにこれをきいて眼をしばたたいた。
「おばあさん、僕一度に三人なんか嫁さんを貰うのはいやですね」
賢彌は、馬鹿々々しいといった顔で笑ったのである。
家族三人で囲んだ爐の榾火に、どこからともなく忍んできた隙間風が、ちょろちょろと吹いて過ぎた。
六
奥利根地方の温泉郷へ旅するとき、上野駅をたって高崎、新前橋、渋川駅と過ぎ、大利根川の鷺石鉄橋を渡ってから沼田駅を発車し、高橋お伝の生家のある後閑駅へくる少し手前で、汽車の窓から西方を眺めると、月夜野橋の下流数町の河原に、利根川へ合する大きな峡流を観るであろう。これが、赤谷川渓谷である。
赤谷川は、標高僅かに六千五百尺内外であるけれど、登山者の生命を奪うことで知られている上、上越国境の谷川岳と、その西に隣し万太郎山との間に割り込んだ深渓から源を発している水量豊富な、そして恐ろしく高い胸壁の底を縫って出る人跡を寄せつけぬ渓流である。谷川岳と万太郎山との南面の山襞には、四季雪の消え去ることがない。雪解水が、春から秋まで朽葉を濡らし、古苔を浸して渓に滴るので、赤谷川の水はいつでも手を切られるように冷たい。
それが、急傾斜の山骨の割れ目を流れ走って五里下流の笹の湯温泉のしも手までくると、西方の峡谷から一本の渓流が合する。これを、西川という。
上州と、越後を結ぶ三国峠から一里下った谷間に法師温泉があるが、西川はこの法師温泉の奥に水源を持っているのである。赤谷川は、西川渓流を合わせると、さらに水量を増して西南五里の利根本流へ向かって奔下して行く。
その途中に、幾つも深い淵があるけれど西川との合流点から十町ばかり下流、水の力が何百万、何千万年かの長い時間に、南岸の山裾を截り削った樋のように巌峡を過ぎ、少しかみ手に深い大きな瀞がある。蒼碧、藍を溶いたのかと思うほどの色が淵に漂い、岩のかげには緩やかな渦が巻き、象牙色の積泡が浮いて流れ、淵尻に移ろうとするところは、水が澱んで甕の面を覗いたように、とろとろとして瀞は動かぬ。
水際に立つと、自ら悽愴の気を催す淵である。この地方の人々は、これを相俣の淵と呼んでいるのである。
この淵に、よほど古い昔から恐ろしく大きな岩魚《いわな》が棲んでいた。淵の、主である。魚画を描いて日本随一と称せられる岸浪百艸居翁の研究したところによると、岩魚の相貌には男型と女型の二種あるというが、相俣淵の主は女型に類する方であった。
悪食の上に縦横無尽に行動する岩魚は、鋭い歯を持って口は深く割れ、丸い大きな眼に、いかめしい顔の造作を備えている。しかし、女性型の岩魚は男性型に比べて、顔の容に一種の優しみを持っているので区別されるのである。殊に背の鱗は青銀色に、腹の方の膚は白銀色に、体側には両面の肩から尾筒に至まで、朱く輝く瑠璃色の斑点を鏤《ちりば》めたように浮かせ、あまたの魚類のうちで岩魚は、まれに見るおしゃれであるのである。その麗容な岩魚の泳ぐ大きな姿を、晩秋の水の澄んだ真昼に、ときどき村人が淵の中層に見るという。
七
相俣淵の岩魚は、夜な夜な法師温泉の湯槽に美しい姿を現わすということも、この地方の人々に語り伝えられている。
一体、赤谷川の本流に添うて笹の湯、さらにその上流に古川温泉などがあるのであるけれどなにを好んで近くの温泉を求めず猿ヶ京、吹路、合瀬《かつせ》、永井などをへて遙々と法師温泉の湯槽に浸るのであろうか。それは、人間には分からない。
法師温泉の主人岡村宏策老に、このことについて問うと、老は高らかに笑ってはっきりとは語らぬが、三、四年前の晩春の夜半に、それらしい姿を浴槽の湯口のあたりに、幻のように、わが視線に映じたこともあったと答えるのである。その言葉から判断すると、この地方に伝えられる話にどこかいわれがあるのであると思う。
ところで、この美しい岩魚の姿を、ついちかごろ法師温泉の浴槽のなかで実際に見た人がある。それは、石坂賢彌であった。
賢彌は昨年の五月の末、山に漸く早春が訪れたばかりの法師温泉へ旅したのである。三国街道の入口、利根川の月夜野橋のあたりは、もう若葉が青葉に移る季節を迎え、流れの岸に青嵐が樹々の重い梢を揺すっていたが、後閑駅から西方八里奥にある法師温泉をめぐる山々や谷々は銀鼠色のやわらかい嫩葉《わかば》が、ほんの少しばかり芽皮を破った雑木林に蔽われていた。
樹々の梢が芽吹く季節は、一年中で最も快い。賢彌は、走る乗合自動車の窓から北方を眺めた。視線の届くところに、翁の眉毛のように幾筋もの白い残雪を、山襞に輝やかした谷川岳が間近に高く聳えていた。
宿について、二、三日は、なにごともなかった。ところで、ある夜賢彌は更けるまで雑誌を読んでいた。時計を見ると、午前二時近くなっていたのである。一風呂浴びて床へ入ろうと考え、手拭さげて風呂場へ行った。
賢彌の室は、新築した大きな別館の二階で、階段を降りて廊下を左へ曲がり、廊下はそのまま西川渓流の橋となっていて、橋が尽きるとまた左へ曲がり、暗い廊下が尽きたところの左側が風呂場になっていた。
風呂場には、小さい石油洋灯の淡い光が、浴槽の面をぼんやり照らしていた。法師温泉へはいまでも送電線がきていない。どの室にも、風呂場にも石油洋灯を用いているのである。
曵戸《ひきど》の格子から風呂場を覗くと、広い浴槽の向こうの正面の片隅に、誰か人が一人湯に浸っている。この夜更けに誰かと思って賢彌は瞳を凝らした。ゆらゆらと立ち昇る湯気のために、はっきりと分からないが、女であるらしい。賢彌は、ちょっとためらった。しかし、先客があるからといって風呂へ入らぬわけにはゆかぬ。曳戸を開けた脱衣場の棚へ衣物を投げ込み、浴槽のなかへ静かに入った。
果たして、女であった。賢彌は、静かに湯へからだを浸したつもりではあるけれど、湯は音をたてた。だが、女は別段驚いた風もなく、凝乎と賢彌とは反対の方へ向いたまま、浴槽の一隅に浸っている。だから、賢彌は女のうしろ姿を見ているわけである。ところで、うしろ姿から察すると、若い婦人であることはたしかであると思う。
法師温泉の、この長方形の浴槽は甚だ大きなものである。一方の隅から、一方の隅までは少なくとも四間半はあるであろう。浴槽の面を漂う湯気を通して、朧《おぼろ》な女のうしろ姿をながめながら、賢彌は静かに湯のなかに脚を伸ばしていた。
暫くすると女は、湯から出て流し場へ上がり、全身をあきらかに現わした。その、うしろ姿を見て賢彌は、からだ中の血が一瞬に頭へのぼったように、じいんとした凄気を催したのである。豊かな肉付き、なめらかな白いうなじ、両腕、そして肩から背に移る曲線を蔽う皮膚。
だが、腰から下は大きな魚体であったのである。順序正しく並んだ銀鱗が、はっきりと見える。賢彌は、はっとして一度眼を瞑《つぶ》ったが、さらにしっかりと見直した。けれど、はじめて見た姿と、なんの変化もない。女は手拭を絞って、湯に濡れた顔や体の皮膚を拭い終わると、うしろを振り向いて賢彌に、にこやかな視線を送った。ほんのりと紅い貌《かお》、澄んだ眼、微笑の中心に座す筋の通った鼻、黒く長い髪。眼ざめるばかりの、若い麗人であった。まだ二十歳は過ぎてはいまい。
魅殺されたように、賢彌は夢心地になって美しい人の顔を見た。と同時に麗人のからだは、ひとりでに宙に浮いて、そのまま風呂場の窓から、そとの闇に吸い込まれるように、消え失せたのである。
窓の闇から、西川渓谷の瀬音が、ただ淙々《そうそう》と響く。
しばし荘然としていた賢彌は、われに返りうしろからつままれる怖さで、浴衣を抱えたまま自分の室へ飛び帰った。
八
翌朝、賢彌は急いで法師温泉を立った。学校が終わって、もう用事のない身であるから、悠々と滞在する予定であったのであるけれど、続いてここに滞在する気持ちになれなかったのである。
西川渓谷に添うて、猿ヶ京の乗合自動車発着場まで三里の山路を急いで歩きはじめた。宿から数十町下ると、西川に渓流がさらに一段と谷底へ刳《えぐ》り込まれ、滝となって落ちる崖の上の路へ出た。そこは、高い絶壁を境として路が右に折れているから、行く手からこちらへ来る人の姿を望むことはできないのである。賢彌は、その絶壁の角を左へ曲がろうとしたとき、だしぬけに正面を曲がって出た人の姿に出会った。
「あっ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
賢彌は、背中から冷水を浴びせかけられたように慄然とした。昨夜の夜半に、風呂場で見た半人半魚の麗人が、数歩前を自分の方へ向かって、窈窕《ようちょう》として歩を運んでくるではないか。
だが、今朝は半人半魚の姿ではない。華麗で、しかも気品の高い色合いの袷《あわせ》を着て、足に革草履をはいている。
麗人と、賢彌の視線が合った。しかし、麗人は昨夜のような美しい微笑を頬に浮かべなかった。路幅およそ二間半、女は崖端に近い方をしとやかに歩いて往き交った。賢彌の視線から、おのれの視線をはずすと、すぐ眼を伏せて行くのである。賢彌は、かつてこんなに美しい女を見たことがない。
走った。まっしぐらに走った。怖いというのか、凄いというのか、わが魂が飛び去ったというのか、名状し難い気持
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