西川に渓流がさらに一段と谷底へ刳《えぐ》り込まれ、滝となって落ちる崖の上の路へ出た。そこは、高い絶壁を境として路が右に折れているから、行く手からこちらへ来る人の姿を望むことはできないのである。賢彌は、その絶壁の角を左へ曲がろうとしたとき、だしぬけに正面を曲がって出た人の姿に出会った。
「あっ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
 賢彌は、背中から冷水を浴びせかけられたように慄然とした。昨夜の夜半に、風呂場で見た半人半魚の麗人が、数歩前を自分の方へ向かって、窈窕《ようちょう》として歩を運んでくるではないか。
 だが、今朝は半人半魚の姿ではない。華麗で、しかも気品の高い色合いの袷《あわせ》を着て、足に革草履をはいている。
 麗人と、賢彌の視線が合った。しかし、麗人は昨夜のような美しい微笑を頬に浮かべなかった。路幅およそ二間半、女は崖端に近い方をしとやかに歩いて往き交った。賢彌の視線から、おのれの視線をはずすと、すぐ眼を伏せて行くのである。賢彌は、かつてこんなに美しい女を見たことがない。
 走った。まっしぐらに走った。怖いというのか、凄いというのか、わが魂が飛び去ったというのか、名状し難い気持
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