は、はっとして一度眼を瞑《つぶ》ったが、さらにしっかりと見直した。けれど、はじめて見た姿と、なんの変化もない。女は手拭を絞って、湯に濡れた顔や体の皮膚を拭い終わると、うしろを振り向いて賢彌に、にこやかな視線を送った。ほんのりと紅い貌《かお》、澄んだ眼、微笑の中心に座す筋の通った鼻、黒く長い髪。眼ざめるばかりの、若い麗人であった。まだ二十歳は過ぎてはいまい。
魅殺されたように、賢彌は夢心地になって美しい人の顔を見た。と同時に麗人のからだは、ひとりでに宙に浮いて、そのまま風呂場の窓から、そとの闇に吸い込まれるように、消え失せたのである。
窓の闇から、西川渓谷の瀬音が、ただ淙々《そうそう》と響く。
しばし荘然としていた賢彌は、われに返りうしろからつままれる怖さで、浴衣を抱えたまま自分の室へ飛び帰った。
八
翌朝、賢彌は急いで法師温泉を立った。学校が終わって、もう用事のない身であるから、悠々と滞在する予定であったのであるけれど、続いてここに滞在する気持ちになれなかったのである。
西川渓谷に添うて、猿ヶ京の乗合自動車発着場まで三里の山路を急いで歩きはじめた。宿から数十町下ると、
前へ
次へ
全27ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング