出て以来、この信州と上州の国境に聳える横手山の洞窟に齢老いた野守《のもり》と夫婦の暮らしを営んでいる。これから先、幾百年も幾千年も、このままこのあたりにいるであろうが、わしに逢いたいと思うたら、なん時なりと、この渋峠の頂へ来るがよい」
「野守といいますと?」
「それは、説明せぬがよかろう」
 こう老爺が答えたとき、賢彌は自分が友人達に遠く遅れていることに気がついた。と同時にちょっと後ろを振り向いた。もちろん脚力の強い人々が遠く往ったのであるから賢彌の眼に見えるわけではないから、再び老爺の方を振り向くと、そこにはもうなに者の影もなかった。ただ、雪の峠路が続いているばかりである。
 老爺の姿は、幽風のように消え去っていた。

  五

 沼之上の家へ帰った賢彌は、挨拶が済むと直ぐ、渋峠の頂で曾祖父の姿に逢った次第を物語った。祖母みよはこの話をきいて、深く心に思い当たるところがあったのである。
 それは、姑のふみ女が存命の折り、姑は嫁にときどき、わたしの良人裕八郎は、どこか遠い遠い山の魔に魅せられていた。と、話したことのあるのを記憶していたからである。祖母のみよは、うっとりとして孫の物語をき
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