ない。しかし、既に数百年の長い間、この国の古志村郷に伝わってきた行事であるといわれている。文献にも乏しく、ただ曲亭馬琴が文化十一年から天保十二年にかけ二十八年間の長きにわたって書いた南総里見八犬伝の第七十三回と四回とに、詳しく紹介してあるが、その他には殆ど文献らしい文献は見当たらない。
 文化から天保といえば、今から百二、三十年以前のことであるが、八犬伝を読んでいると闘牛行事のしきたりや村民の風俗が、いまと全く変わりがないのに気がつく。文化天保のころが、この闘牛全盛の時代であったように想像されるから、闘牛の歴史は馬琴時代よりもさらに古い発生であるのではあるまいか。
 馬琴は、自ら古志の国へ旅して二十村郷の闘牛を見物したのではない、と、自ら八犬伝のうちに付記している。これは、随筆北越雪譜の著者南魚沼郡塩沢の里長《さとおさ》鈴木牧之から庚辰三月二十五日に伝聞した実況で、牧之は村政や筆硯多忙のために、雪譜中へ闘牛記を収めることができなかったから自分が代わって八犬伝中に記したのだ。と、馬琴は断わっている。
 日本闘牛は、越後のほかに土佐と能登にあったのであるけれど、いまは亡びてしまって見ること
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