れけり――と描写している。
 よし、よい機会だ。行って見ましょう、案内してください。
 二十村郷まで僅かに六、七里、若月氏と共に十七日早朝、小出町を立って小千谷まで汽車。それから途中まで乗合自動車で、最後の一里ばかりは徒歩である。最後の一里が、大したものであった。山坂ばかりだ。おまけに、豪雨に雷鳴を伴って風が横吹きに吹きまくり、急坂の途中で褌まで濡れてしまった。
 闘牛場は、二十村郷のうちの竹沢村の小字二町野に鎮座する白髪神社の境内にあって、午後三時頃からはじまる予定であるというのであったから二町野の豪農星野仙一氏方に小憩した。
 雨が小やみになって、気候はまことに涼しい。この気候は、闘牛に好条件であるそうだ。昼飯を終えたころから、見物人と共に猛牛が続々と神社の境内へ集まってくる。飼主や村の青年に牽《ひ》かれる牛は、もう、うおうと唸って、その声は遠方からきこえてくる。既に殺気立っている前景だ。
 白髪神社の境内は、南北が高さ二丈ばかりの崖となり、東西が狭い通路。その窪んだ中央が六百坪ばかりの広場になっている。そこが闘牛場で、見物人は崖の上に、何千人と黒くなって立っている。
 定刻がきた。境内には、百人あまりの牛方が右往左往して、なにか口々に叫んでいたが、やがて牛方は場の一隅に大きな円陣を組んで、相談ごとをはじめたらしい。相談ごとが終わると円陣の人々は、手を高くあげて賑やかに拍手した。
 そこでまた若月氏が、説明する。ここの闘牛は、予め取組の番割というものをこしらえて置かない。その日における牛の機嫌とか、闘志とかを観察|斟酌《しんしゃく》して、相手を定めるのである。つまり甲牛の戦歴、力量を基本とし、きょうの条件ならば、乙牛と組合わせるのが適当であろう。と、いう談合が円陣を作った各村の青年である牛方によって唱和されると、これを飼主に諮《はか》って承諾を受ける。そこで、番組が定まった印に、拍手が起こるのだ。
 この拍手を見ると、その瞬間に見物人にどよめきが起こった。第一番組の取組が、はじまるのだ。東の口から曳きだされてきたのが、塩谷村の甚六牛である。茶色で、肩の肉瘤隆々として盛り上がり、目方は二百貫近くもあろうか。
 堂々として逞しい。内に向かって曲がった両の角は、あくまで鋭く馬琴が形容した通り、烏犀《うさい》か石剣というほどである。
 西の口から牽きだされてきたのは、竹沢村の徳蔵牛だ。これは純黒の毛なみ、恰も黒|天鵞絨《びろうど》のように艶々しく光り、背にまたがればつるりと辷りはせぬかと思うほど肌が磨いてある。肩の肉も、尻の肉も、張りきって波打ち、横綱力士の便腹《べんぷく》の如しといいたいが横綱の腹を五つや六つ持ってきたところで、到底及ぶまい。
 意地汚い話だけれど、あの肉塊が一つあったなら、幾十人前のすき焼きができるだろう。時節柄、私は長い間随分肉類に飢えてきているなど、ひとりでに妙な考えが頭に浮かんで、思わず唾液を舌に絡ませた。徳蔵牛は、二百貫を越えているだろう。

  三

 東西から出た飼主に鼻面をとられたまま、順に場内を一巡して、そして最後に場の中央で顔を合わせた。ところで、牛は既に場内へ牽き入れられた時、猛然と闘志を燃やしているのだ。顔を合わせるやその瞬間、丸い大きな両眼を豁《かっ》と開いて、黒い瞳を上険の近くへ吊りあげて、相手を睨《にら》めた。
 その途端に、わが牛の鼻を抑えていた飼主は呼吸をはかって互いに鼻糜《はなげ》を抜いた。鼻糜を抜くや戛然《かつぜん》たる響きが見物席へ伝わった。火を発するのではないかと思った。角と角と力相|搏《う》ったのだ。
 一秒、二秒、三秒。角と角が組んだ。牛は、渾身の力を角にこめて押し合った。筋肉が、躍動する。後ろへ、踏ん張った後脚の蹄《ひずめ》が、土中深くめり込まる。
 見物人は、片唾を呑んだ。牛方の青年は、両牛の前後左右を取り巻いて、イヤイー、イヤイー、という掛け声をかけて牛に声援する。六秒、七秒。闘いは、酣《たけなわ》となった。
 押した押した。黒が押した。崖も崩れんばかり見物人の山が動揺する。なんと呼んで叫ぶのであるか、見物人は手をあげ口を開いて喚《わめ》く。
 だつ、だつ、だつ。押された赤牛は、西の柵の近くまで追い込まれようとしたとき、あっ、踏み止まった踏み止まった。押し返した押し返した。赤は、死力を尽くして押し返し、場の中央から少し北方寄りのところへ、立って組んだ。
 二つの肉団は、泰山の如く動かない。人々は結局引き分けかな、と、予想していた。
 十秒、十五秒。俄然、赤は角をはずした。そして、黒の頸筋の横へまわって、直角に頸筋へ両の角を立てた。その、早業。
 赤は、両の角を敵の横頸へ立てると、なんの猶予もなく、そのまま電撃の疾《はや》さをもって、押し立て押し立て、二百余貫の巨
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