烏惠壽毛
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)様《さま》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](昭和二十一年三月中旬記)
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いよいよ、私は食いつめた。
昔、故郷の前橋中学へ通うころ、学校の近くに食詰横町というのがあった。五十戸ばかり、零落の身の僅かに雨露をしのぐに足るだけの、哀れなる長屋である。
住人は、窮してくると、天井から雨戸障子まで焚いてしまう類であったから、一間しかない座敷のなかの、貧しい一家団欒の様《さま》がむきだしだ。そこで、現在の戦災後の壕舎生活と、この食詰横町の生活と、いずれが凌ぎよかろうかと、むかし学生時代に眺めた風景を想い出して比べてみると、地表に住んで直接日光の恵みに浴するとはいえ、横穴の貉《むじな》生活の方が、戸締まりがあって寒風が吹き込んでこないだけ結構であろう。
ところで、われわれ学生は、食詰横町を通るたびに、
おいおいお前、試験のときカンニングはやめよ。
と、連れの学友にからかうのである。
嘘つけ、僕なんぞカンニングはやらないよ。やったのは君だろう。
白々《しらじら》しいや。この間も、僕の見ているところでやってたじゃないか。
あの時、ただの一度さ、はじめのおわりだ。
それならいいが、カンニングが癖になって世の中へ出てからも、カンニングをやるとひどいことになるぞ。
どんなことになる。
この食詰横町に住んでいる人物は、すべてカンニング崩れなんだ。社会生活にカンニングを用いれば、誰でもこの横町へ這い込まにゃならんよ。
こんな冗談を言い合って、笑ったものだ。
さて、私の場合であるが、私は世の中へ出てから、別段カンニングをやった覚えはなし、人の物をちょろまかした記憶もない。
だのに、食い詰めて、せっぱ詰まった。
会社をやめる時、退職金を一万二千六百円貰った。大正の末年の、デフレの大不景気時代であったから、当時の一万二千六百円と言えば素晴らしい。そのころ、とろとろと唇の縁がねばるような白鷹四斗樽が一本、金八十円前後で、酒屋の番頭が首がもげはせぬかと心配になるほどぺこぺこ頭を下げて、勝手元まで運び込んだものである。
この頃のように闇値横行のとき、一升三百円の酒を買えば、一万二千円所持していたところで、四斗樽一本でおしまいだ。しかるに、一
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