升二円の酒を、一万二千六百円買えば、何升手に入りますか、と試問されても、頭がこんがらかり舌が吊ってしまって即座には返答ができないであろう。その退職金を懐中にし、途中で軽く一盃召し上がって、ひとまずいそいそとわが家へ帰った。

  二

 二階へ上がり、かたく家族の者を遠ざけ、一体百二十六枚の百円紙幣は、畳一枚にならべ得られるかどうかについて試してみたのである。ならべ終わって、私はにやにやとした。まさに豪華版であったのである。
 その豪華版も、僅かに半年の間に呑み干してしまった。遺憾なく、まことに綺麗に呑んだ。
 ついで、祖先伝来の田地田畑を売り、故郷の家屋敷まで抵当に入れてしまった。爾来、七とこ八とこと借り歩き、身寄り友人、撫で斬りである。
 同業内田百間は、借金の達人であるときいているが、彼とわが輩と対局しても、万が一彼に勝味があろうとは思わぬ。わが輩の腕前の方が筋がよろしいという自信を、固く持つ。
 だが、如何に確かなる腕前を持っていようとも、最後の取って置きの、きり札である恩人まで借りてしまっては、あとはもうどうにもならぬ。
 そこで、私は女房を攻めた。
 はじめのほどはてんで私を相手にしなかったけれど、私が窮極に陥ったのを読んだらしい。流石《さすが》に女房だけあって、箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》の奥の隅の底から、雑巾にも等しい襤褸《ぼろ》包を持ちだした。それを、筍の皮でも剥ぐようにめくって行って、最後に出したのが、金三百円である。
 そのとき、私は翻然真人間に返った。
 しかしながら、この三百円をもって一家を支え行かねばならない。右を向いても左を向いても借金で不義理だらけ。友人には悉く信用を失い、誰一人就職の世話など、奔走してくれぬ。このままで、この三百円に物を言わせないとあれば、家族は路頭に迷い、前橋の食詰横町行きだ。学友との笑い話がほん物になって、遂にカンニング崩れとなるであろう。
 思案、才覚、勘考、ありたけの知恵を絞った揚句《あげく》、最後に三百円の資本をもって、めし屋を開業することに方針を決定した。なにしろ、資本が極めて薄いのであるから、東京の中央で店を開くなどは思いもよらない。まず場末を選ぶことになったのである。
 中仙道の板橋方面、甲州街道の柏木方面、奥州浜街道の千住あたりを極力捜したのであるがいかに場末と雖も、資本金三百円をもって開店し得
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング